「マスク姿で行楽」の衆愚

「感染はイヤだけど自粛も疲れた。遊びに行こー!」というところか…。
この3連休、全国で人がどっと押し寄せた行楽地が少なくなかったそうだ。政府や自治体が人混みへの外出自粛要請を解除したわけでもないのだが、いかんせん「命令」ではなく「要請」に過ぎないので、ストレス発散とばかりに繰り出したのだろう。
個人的に、あまりに行き過ぎた自粛は精神的にも日本の経済にも良くないので外出は「悪ではない」とは思うのだが、テレビニュースが流していた行楽地(人手)の映像を観て異様に感じたのは「猫も杓子もマスク」という光景だ。
この新型コロナ騒動が起きる以前から、病気でもない日本人の高マスク率(花粉症予防を除く)には不思議な思いを抱いていたのだが、今回の騒動でも国民の不安を煽りたいメディアが執拗に「マスク不足」を誇大連呼し、あたかも「マスクしない人は全員感染して死ぬ」とばかりの恐怖心を植え付け、全国的な品切れやネットでの高額転売を引き起こした。
WHO(世界保健機関)は2月下旬、新型コロナウイルスの感染予防に向けたマスクなどの適切な使い方の指針として「咳やくしゃみといった症状がない人は、予防目的で学校・駅・商業施設など公共の場でマスクを着用する必要はない」との声明を出している。
また、厚生労働省も「症状のある人は、咳・くしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために不織布マスクを積極的に着用すること(咳エチケット)が推奨されるが、感染していない健康な人が不織布マスクを着用することで飛沫を完全に防ぐことはできない」(要旨)としている。
一般的に、不織布マスクの繊維の隙間は約5µm(マイクロメートル)と言われるが、花粉の大きさが約30µmなのに対し、各種ウイルスは0.1µm前後、飛沫核(飛沫の水分が飛んだウイルス)が3µm前後だという。つまり、花粉症予防には効果があるが、こと新型コロナに関しては「しないよりはマシ」という程度の気休めグッズでしかない。
ただし、こう書くと次のような反論が帰ってくるだろう。
「自分が感染していて(無症状や潜伏期間)、他人にウイルスを移す可能性があるからマスクをしているのだ」と…。
理屈としてはその通りなのだが、本当に「自分が感染しているかも」などと思っているのだろうか。いや、意識的に「自分だけは大丈夫」と言い聞かせてはいるはずだ。医者に「がん宣告」をされたら平常心ではいられないのと一緒で、「感染=死ぬかも」と考えたら、とても行楽地になど出かける心境にはなれないはずだ。
つまり、マスクをつけてでも遊びに出かけるのは、まだ自分は感染していないということを前提に「マスクをしているから移されない」という誤った安心感か、あるいは「みんなマスクだから自分も」という右へならえの国民性ゆえか…。
連日、各自治体から感染者数が発表されているが、その中で常にマスクを着用していた患者の数は決して知らされないのはなぜなのか。また、N95などのサージカルマスクを常に着用しているはずの医療関係者にも多数の感染者が出ている現実を、どう理解すべきなのだう。
本当にマスクで感染拡大を防げるのなら、全国民に強制的なマスク着用命令を出せば万事解決のはずだ。政府や多くの自治体が「外出自粛」を要請はしているが、生産体制という問題があるにせよ「マスクを着用せよ」と呼びかける例は皆無に近い。なぜなら、マスクは何の役にも立たないことを分かっているからで、外出自粛で経済が停滞することは承知の上で、それ以外に方法がないという意味に他ならない。
ドラッグストアなどの小売店では開店前から行列ができ、開店後すぐにマスクが売り切れる状況は相変わらず続いているようだ。購入者のほとんどの目的が「念のため」程度にも関わらず「自分さえよければいい」という発想(→ 一例)で、それによりコロナではない病気(インフルや喘息など)で本当に必要な人には行き渡っていないケースも多いという。
本気で感染する(させる)ことを恐れているなら、ウイルスが素通りする不織布マスクなどではなくガスマスクの購入をお勧めする。
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カテゴリ : 時事社会