職業政治家の資質・体質・本質

政治家が「市民の下僕」を演じるのは選挙前だけ ※写真はイメージ
国会・地方議会を問わず、自民党所属議員の失言や失態に関する報道が止まらない。この2ヶ月に限定しても、以下のような事例が騒がれた。
・02/07 丸川珠代環境相
講演で「国の除染基準は何の根拠もなく、時の環境相が決めた」
・02/09 島尻安伊子沖北相
記者会見で歯舞群島を「はぼ…なんだっけ」
・02/12 宮崎謙介衆院議員
育休を宣言しながら、妻の妊娠出産中の不倫で辞職
・02/17 丸山和也参院議員
参院憲法審査会でオバマ米大統領を「奴隷」
・02/29 安倍晋三首相
衆院予算委で「日本死ね!」ブログは「匿名で確認しようがない」
・03/08 松島みどり元法相
衆院外務委で、居眠り、大あくび、読書、携帯いじり
・03/15 林幹雄経産相
衆院予算委で原子力政策に関する質問に答えられず、勉強不足認める
・03/15 石破茂地方創生相
衆院地方創生特別委で別法案の提案理由説明
・03/16 吉田清一滋賀県議
センバツ出場の滋賀学園の激励会後、選手らに「1回戦負けしろ」
・03/18 山田俊男参院議員
自民党本部での会合後、農協関係者に暴力
・03/24 大西英男衆院議員
細田派会合で「巫女(みこ)さんのくせになんだ」
・03/29 勝木勇人札幌市議
討論中の共産党市議に対して「精神鑑定を受けた方がいい」
中には、メディアが揚げ足を取り勝手に騒いだだけというケースもあるのだが、とりあえず「報道され話題になった」事例である。
自民党議員であるということに関しては、やはり政権与党という「最高権力側」に属しているがゆえの奢りがあるのは確かだろうが、政権側だからこそメディアにマークされ、発言が目立ちやすいという側面もあるだろう。
だが、過去の政治評論活動を通じて数多の議員と面会してきた経験から断言できることは、「政界でまともな人間は、党派を問わず2割程度」であり、失言や失態など「想定内で、珍しくもない」ということだ。
当時の私は「市民の代表者たる者(議員)には相応の資質と能力が不可欠」という青臭い持論を持っていたのだが、最後は「そのような人物ほど選挙なんぞに出ようとしない」という結論に至ったものだ。
本来、議員は市民の代表者であると同時に「公僕」なのだが、それを自覚するのは選挙の時だけで、当選してしまえば「先生」と呼ばれ、各種の利権にありつけ、相応の権力を手中にできるため、(支持者以外の前では)後ろに倒れそうなほどふんぞり返っている。そして、国会議員・都道府県議・政令市議には、一般市民には考えられないほど高額な歳費(議員報酬)が約束される。
地方議員に与えられる「政活費」(政務活動費)はほとんどが事実上の「生活費」として消費されるが、たとえ市民団体等が使途に異議を唱えても、ほとんどの市民が無関心であり、それを知っている議員や会派はデタラメに使い放題、業務上横領のようなことも平気でやっている。
では、選挙の時に唾を飛ばしながら訴えたはずの「政策」についてはというと、当選してしまえば「何のことやら…」である。法律や条令案を自身で書いて提出する「議員立法」に取り組む者などほとんどおらず、採決時に党派会派で強制される賛成・反対票を投じるだけの「投票マシーン」と化している。
ほとんどの議員(職業政治家)には(市民のための)「自己犠牲」という概念はなく、自身の利益や将来のことしか頭にない。議員に必要な知識や教養を身につけるために勉強する時間があれば、次の選挙のための「地元回り」に費やすのが常である。
日本の選挙というものが、政党票や組織票という「しがらみ」に支配されている以上、候補者の人格や能力は二の次なので、当然ながら「人として標準以下」の議員が量産されることになる。
「政治家の質は国民の質に比例する」という的を射た言葉があるように、彼らを選んだ私たちがいちばん悪いのだ。今さら失言や失態で騒いでも仕方ないし、今まで通り「1億総無関心」、「おまかせ民主主義」でいいではないか。
あほくさ… ┐(´д`)┌
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カテゴリ : 政治選挙