不都合は「国」「社会」「他人」のせい

抗議集会に参加する「自己中心ママ」たち 写真(C)毎日新聞社
去る5日、認可保育園などから我が子の入園を断られた当事者らが、国会前で政府に対する抗議集会を開いた。これは、保育園の入園選考に落ちた母親が「保育園落ちた日本死ね!!!」と題して怒りをつづったブログ記事(最後部に転載)を国会質疑で取り上げた野党議員に対する安倍首相の「匿名である以上、本当であるかどうかを確かめようがない」という答弁に怒り心頭の当事者たちが「保育園落ちたの私だ」と書かれたプラカードを手に結集したのだという。
気持ちは分かるが、当該ブログも含めてこれは単なる「逆恨み集会」だ。
待機児童問題が深刻化しているのは事実で、そのために仕事を辞めたり、仕事に就けない母親が多いのもまた事実。政府もそれを問題視して対策を打とうとしているものの、遅々として進んでいないのもまた事実だろう。
とはいえ、保育園には必ず定員があり、入園希望者がそれを超えていれば誰かが落ちることは分かっていたはずだ。それが自分に降りかかったために現実を受け入れられず、それを政府に責任転嫁しブログでヒステリックな罵詈雑言を展開するという身勝手で自己中心的な主張は、到底共感できるものではない。
もし、このブログ主が選考に合格していれば「保育園受かった!ラッキー!」で済ませただろうし、その喜びの陰で落胆する「落とされた子供と母親」の気持ちなどは微塵も考えなかっただろう。
そう、彼女らの思考は「自分さえ良ければいい」という典型例だ。
当該ブログも、腹を立てながら書いたであろうことは察するものの、いい大人が匿名をいいことに「死ね」「クソ」「ボケ」「ふざけんな」とはいかがなものか…。保育園の面接で、こういう言葉がスラスラ出てくるような人格を見透かされたために「母親に問題あり」として落とされた可能性もある。
待機児童問題に限らず、この理不尽なことだらけの世の中では、実に多くの人たちが悔しい思いをして涙をのみ、それでも前を向いて懸命に生きているのだ。誰しもが「自分の不都合は全て国や他人のせい」とばかりに責任追及していたら、社会秩序はあっという間に崩壊する。
このブログ主は、安倍政権の掲げる「一億総活躍社会」という言葉をそのまま鵜呑みにし、しかも「すでに達成されている」とでも思っていたのだろうか。普通の大人であれば、これが実現性のない単なるスローガンでしかないことは十分理解できるはずなのだが…。
そして、このような身勝手な自己主張を「政府への格好の攻撃材料」とばかりに取り上げるメディアや野党議員、そしてそれに呼応するように結集する市民デモ隊など、何もかも許せないという不満分子を見るにつけ、この国がどんどん悪くなっていくのを痛感する日々である。
「保育園落ちた日本死ね!!!」
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて
税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ
無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化
なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから
取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って
国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。
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カテゴリ : 時事社会