あぶり出された「日本の暗部」

「殺人者の安倍を殺せ」… イスラム国に利用された日本の反政府デモ
イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人2名の人質略取・脅迫事件は、大方の予想通り最悪の結果に終わった。
上の写真は、後藤さん殺害を「待ってました」とばかりに湧き出てきた反政府デモの様子だが、イスラム国はツイッターにこれを載せ、「我々の同志」と言わんばかりに紹介したという。
いつも思うのだが、日頃から「反戦」「平和」「命」と声高に叫ぶ左翼の方々は、なぜ「安倍を殺す」ことをイメージするプラカードを作るのだろうか。上の写真も同様で、安倍首相にスコープの照準を合わせて「殺したい意志」を示したり、首相をヒトラーになぞらえた似顔絵を作ったり…。
今回の事件に際しても、心から邦人を心配していたのではなく、いつもの「安倍叩き」の口実にしたかっただけなのだろう。そうでなければ、このような「世界平和のために安倍をぶっ殺せ」という自己矛盾に満ちたメッセージは発せないはずである。
「世界平和」といえば、後藤氏の母親による外国人特派員協会での記者会見もネット上では大いに話題になった。それは誰もが予想した「愛する息子を解放するよう涙ながらに訴える言葉」ではなく、“反原発”と“地球平和”という場違いな持論を滔々と語り出したのだから。曰く…
「人間は地球を壊している」
「原子力が地球を壊すのを止めるためなら私は命を惜しまない」
「私の父親は軍人で朝鮮とかのトップでヒラヒラの軍用車に…」
「イスラムの人達を私の家に連れてきて一緒にお勉強しましょう」
「日本には憲法9条があるしアメリカに原爆を落とされた」
「地球平和のために頑張ります」 等々…。
「お涙頂戴」を期待して生中継していたテレビ各局は「これはまずい」とばかりにCMを突っ込んだり、中継自体を打ち切ったりしてごまかしたが、その後は「使えるシーン」だけのつぎはぎ編集で「可哀想な母親」を作り上げた。当然、息子の命に危機が迫っているとは思えない「満面の笑み」もボツ映像だ。
新聞やテレビでしか情報を得られない高齢者などに対するイメージ操作はメディアの常套手段だが、外国人特派員が思わず「Oh, my god…」(なんてこった…)と漏らすほど異常な会見だったことは「なかったこと」にされた。
まぁそれにしても、後藤氏が殺害された後の左翼メディアや政党の妄言はひどすぎる。一般の国民はもちろん、パレスチナもイスラエルも欧米諸国もサウジアラビアもヨルダンも国連安保理も異口同音に「テロ許すまじ」の姿勢なのに、日本の一部勢力からはイスラム国を擁護する発言のオンパレードだ。
邦人救出のためには日本がひとつにならなければならない状況だったのに、存在感を示したい反体制側はとにかく政府批判一色だった。だが、いつものように結果論と感情論でしか考えないため、「では、どうすれば良かったのか」は誰も答えられない。もちろん、日本の国際的立場からODA(政府開発援助)や有志連合としての人道支援の否定など論外である。
そもそも後藤氏のシリア入りに関しては、氏の渡航計画を把握した外務省が昨年9~10月に計3回、渡航を中止するよう要請していたというではないか。(「自己責任」とする世論を封殺するためか、この事実を取り上げるメディアはほとんどないが…)
日本は渡航の自由が保証されている以上、犯罪者でもない国民に対して出国禁止措置などできるはずがなく、政府は「要請」しかできない。それでも「全て自分の責任」と言い残して危険地帯に飛び込んで殺害されたという事実に対して「政府、安倍首相の責任」と叫ぶ思考は、もはやバカとしか言いようがない。
後藤氏の殺害(判明)前から、メディアによる氏の人生の美談化は凄まじかったが、「戦地の子供のため」「湯川さんを救出するため」という壮大な信念の前に、いちばん身近な奥方や乳飲み子を残して殺されることの愚かさを考えなかった罪は決して軽くないはずだ。
ともあれ、今回の事件で改めて「日本の暗部」があぶり出されたわけだが、少なくても民主党政権時代の出来事でなかったことだけはホッとしている。
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カテゴリ : 時事社会