都合がよすぎる「表現の自由」

イスラム過激派の男らに銃撃されたフランス・パリの風刺週刊紙「シャルリ・エブド」(Charlie Hebdo)が14日に発行予定の最新号で、イスラム教の象徴であるムハンマドを蔑む画を表紙に据え、通常6万部の発行部数を300万部に増刷し、16言語25ヵ国で発売するのだという。
どんな理由であれテロは許される行為ではないが、同紙の過去の表紙を見る限り、風刺というより「侮辱」としか思えない画も少なくない。どんな自由にも一定の線引きが求められるものだが、例えば為政者の悪政を皮肉るというものではなく、宗教の信仰対象を茶化し冒涜しているだけである。
そして事件後の同紙の措置(表紙や発行部数)である。「暴力に屈しないジャーナリスト魂」をアピールしているようだが、ここまでやると単なる挑発であり、次のテロを誘発する炎上商法である。しかも、世界中がこれをヒーローとして礼讃しているのも理解しがたい現象だ。
…かと思えば、フランス検察当局はネットにテロ実行犯を擁護する書き込みをした風刺芸人の検挙に動いているという。どうやらテロ擁護発言については「表現(言論)の自由は認めない」というダブルスタンダードのようで、要するに「我のみぞ正義」という唯我独尊なのだ。
イスラム教徒の一部に「過激派」が存在するというリスクを承知で全イスラム信者を不快にさせ続けてきたのだから、今回の襲撃事件も「想定の範囲内」だったはずである。これで同紙は世界に名を売ったことになり、いくらでも代わりのいる画家や記者の犠牲など「安いもの」だったのかも知れない。
ジャーリズムなどではなく、憎悪感情を利用した喧嘩商法なのだから。
追記 (2014.01.20)
エジプトの政争で殺されたムスリムを嘲るシャルリ・エブド紙の風刺画に対し、テロリストに殺された同紙編集長を嘲る風刺画をSNSで公開した16歳の少年が「テロ扇動罪」の容疑で当局に逮捕されたそうだ。(→ 報道記事)

左: 「コーランでは銃弾を防げない」 (シャルリ・エブド紙)
右: 「シャルリ・エブドでは銃弾を防げない」 (16歳少年)
同紙の数々の風刺画の方がよほど「テロ扇動」のような気もするが、そちらの方は「正義」で、少年の“表現”は自由どころか「犯罪」に該当するらしい…。
国家を挙げての言行相反ぶりに疑問を感じないフランスの全体主義には末恐ろしさを感じるが、地元紙の引用記事で産経支局長を拘束・起訴する国もあるくらいだから、どれもこれも「お国柄」ということか…。
銃撃された仏紙、最新号表紙にムハンマド風刺画
先週、仏パリにある本社がイスラム過激派の男らに銃撃された仏風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)が、14日に発行予定の銃撃後初となる最新号の表紙で、「すべては許される」とのメッセージの下で「私はシャルリー」と書かれたカードを掲げながら涙を流すイスラム教の預言者ムハンマドを描いた風刺画を掲載することが分かった。
同紙は、発行に先立ち表紙をメディアに公開。「生存者号」と銘打ったこの特別号の発行部数は300万部で、諸外国から引き合いがあったことから16言語に翻訳され、25か国で発売される予定。
同紙の腕利きの風刺画家5人を含む12人が殺害された銃撃事件を受け、「私はシャルリー」とのメッセージとともに同紙との連帯を示す運動が世界中で広まっている。
だが、同紙が再びムハンマドの風刺画を掲載することで、預言者をいかなる方法でも描いてはいけないと信じる一部の敬虔(けいけん)なイスラム教徒からの反発が強まる可能性がある。
同紙は2011年、ムハンマドの風刺画を掲載したことで、イスラム過激派とみられる集団によって本社ビルに火炎瓶を投げ込まれる被害を受けている。今月7日に本社を銃撃した男らは、現場を立ち去る際、「預言者ムハンマドのかたきを討った」と叫んでいた。
(AFP=時事 2015.01.13)
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カテゴリ : 国際時事