本質分からぬ共同通信の「本末転倒」

写真(C) 産経新聞社
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「STAP狂騒曲」が、ついに終焉した。理化学研究所の調査委員会が26日に発表したSTAP細胞に関する最終報告書によると、論文でSTAP細胞由来とされた細胞は、既存の万能細胞であるES細胞(胚性幹細胞)だったとし、「STAP論文は、ほぼすべて否定された」と結論付けたという。
1月に「世紀の大発見」として論文が発表されて以来、今年はまさに「STAP細胞漬け」の年だった。その結果はというと、膨大な公金(研究費)をドブに捨て、日本の科学技術への信用失墜という「置き土産」を残したまま、小保方晴子氏は自身の口で総括することなく理研をさっさと退職して逃げ切った。
理研も含め、世界に向けて発表したことの結果に対するケジメとしてはずいぶん甘い自己完結のようだが、各方面からの寄せられる当然ながらの(小保方氏への)批判に対し、共同通信が次のような記事を発信した。
「一連の騒動が、寛容さを失っていく社会の風潮を象徴している」
(最後部に全文転載)
共同通信といえば、これまでも論点のすり替えや印象操作といった手法で国民を欺く記事を全国の地方紙に垂れ流してきた実績があるが、自らのオピニオンでも本質を履き違え、科学の問題を“情緒”に置き換えてて解釈している。
同記事内では、「まだ誰もやっていない成果を追い求めるのが科学者。 断罪するようなことは絶対に良くない」という“(なぜか)文芸”評論家の声も乗っているが、本末転倒も甚だしい考え方である。
誰も「失敗を許さない」とは考えておらず、データの捏造や改竄といった「嘘」を断罪しているのだ。しかも、そこに性別は関係ないはずなのだが、共同通信のスタンスはまるで「可哀想だから若い女性をいじめるな」と言わんばかりのセンチメンタリズムである。
そして、この思想自体、メディアが常日頃から毛嫌いし声高に叫んでいるはずの「男女差別」「女性蔑視」そのものであり、おそらく男性であろう記者の「男目線」ならではの思考だということに気付いていないようだ。
そもそも、科学の専門的視点から切り込める記者がいない日本のメディアが、理研の演出に丸乗りして「リケジョ」だ、「割烹着」だ、「ペットは亀」だと、幼稚で非科学的な大騒ぎをしたことにも騒動を大きくした原因があるはずなのだが、共同通信はまるで他人事のように、したり顔で世論を諭している。
また、論文の不正が指摘され、世論が賞賛から批判に転じ始めた途端に弁護士を立て、逃げるように表舞台から消えようとした小保方氏の行動も決して誠実とは言えず、これも含めて「許してやれ」と総括する姿勢は報道機関として危険ですらある。
「失敗には寛容であるべきだが、不正は断罪すべき」
この本質が分かっていない通信社が日本中の新聞に記事を配信しているのだから、読まされる国民も気の毒としか言いようがない。日本のメディアのレベルは、いつになったら「普通」になるだろうか…。
【STAP問題】 厳しい目、寛容さを失う社会を象徴か 騒動の背後に
「夢の細胞」をめぐる一連の騒動は一体、何だったのか―。26日、理化学研究所の調査委員会は小保方晴子(おぼかた・はるこ)氏(31)による捏造(ねつぞう)をあらためて認定し、STAP細胞がなかったことはほぼ確実とした。前代未聞の不正に社会は揺れ続け厳しい目が向けられたが、寛容さが失われた今の時代の断面が表出したとみる識者もいる。
「『研究犯罪』とでも言うべき許されない行為。 多くの国民を振り回し、科学への不信感を抱かせた」。教育評論家の尾木直樹(おぎ・なおき)法政大教授は手厳しい。研究成果の発表当初は、再生医療の新たな展望が開けると大きな期待が寄せられていたことも重大視。「患者にいったん望みを持たせておいて、それを破壊した。こんな残酷なことはない」と批判する。
理研調査委の報告書については、全容解明には至らなかったが、「一つの着地点になったと思う」と評価。一方で、STAP論文共著者の一流の研究者が不正を見抜けなかったことも判明し、「科学の倫理はこんなにいいかげんなものなのか」と疑念を示した。
作家の雨宮処凛(あまみや・かりん)さんは「ふんわり系で、モテる女子を体現したような存在。科学の世界に希望の星として降臨した」と分析。問題がここまで世間の耳目を集めたのは、小保方氏本人の個性も作用していたとみる。
壁がピンク色に塗り替えられた実験室、 ムーミンのグッズや白衣代わりのかっぽう着は繰り返しニュースに。理系好きの女子を意味する「リケジョ」の言葉もちまたにあふれた。
だが、論文の疑惑発覚後、小保方氏に向かった強いバッシングには違和感を拭えないという。
「若い女性で成功した。報われない人が多い今の日本の社会で、一番たたきがいがある存在」。組織としての理研にも責任はあるはずなのに、「全ての責任を1人の人間に丸投げしている。楽な方法なのだろうが、あまりにもえげつない」。
文芸評論家の山崎行太郎(やまざき・こうたろう)さんは「まだ誰もやっていない成果を追い求めるのが科学者。断罪するようなことは絶対に良くない」と小保方氏を擁護。一連の騒動が、寛容さを失っていく社会の風潮を象徴しているように見えてならないと振り返った。
「正解しか許されない場所から、果たして世紀の大発見が生まれるだろうか」。今後多くの研究者が萎縮し、科学研究の現場に悪影響をもたらすかもしれないと危ぶんだ。
(共同通信 2014.12.27)
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