「大義なき解散」は恒例行事

写真(C) 毎日新聞
本日、衆議院が解散した。読売新聞が観測気球的に記事を打った途端に解散風は瞬く間に広がり、ほぼ電光石火のごとき流れだった。
女性2閣僚がスキャンダルで辞任するなど失敗に終わった内閣改造や、消費税増税の時期を延期することを決めたタイミングでの解散となったわけが、野党やメディアは声を揃えて「大義なき解散」「政権延命のためでしかない」と叫び狂っている。
大義というが、これまでに誰もが納得する解散などどれほどあっただろうか。「政権延命」というが、自身の政策を遂行したい時の総理が政権維持の方法として特権を行使するのは当然であり、何ら批判されることではない。反体制メディアにとっては、総選挙での自民党大勝が分かっているだけに、結果的に長期政権の足がかりとなるこの解散が許せないのであろう。
大義なき解散が問題なのであれば、例えば05年の「郵政解散」も大義としては不可解なものだった。ほとんどの国民の生活に影響のない「郵政事業の民営化」というライフワーク成就のために、当時の小泉首相は法案が参議院で否決されたのを理由に衆議院を解散するという暴挙に出た。自民党内でも反対意見が大多数だったにも関わらず、己の欲望だけで打った解散だった。
ところが、メディアは問題提起することなく大喜びで「小泉劇場」を国民に煽り、政治をオモチャにした。この「郵政選挙」を取り上げるだけで視聴率は上がり、販売部数が増えるからであり、そこに報道機関としての矜持や危機感、問題意識などは微塵もなかった。
大義がないといえば、前回(12年11月)の解散も同様だ。
民主党・野田内閣は消費税増税を含む「社会保障と税の一体改革」の法案成立のため野党である自公に協力を仰ぎ、その結果として離反した小沢グループが他の野党と共闘して衆議院と参議院にそれぞれ内閣不信任案と首相問責決議案を提出された。これらも否決させるために自公の援助を受けたわけだが、引き換えに「近いうち」の解散を明言した。
自公の協力を得ながら、解散して「自公と戦う」構図の総選挙を行うというのだから、本来であれば恩を仇で返す行為だ。ただ、この時点で民主党の政権能力は限界に来ており、国民の支持も奈落の底だった。総選挙を行えば政権再交代は確実で、野田はそれを分かっていたからこそ解散を「謝礼」として差し出した格好だ。
このように、内閣不信任案の可決でもない限り、確たる大義を持つ衆議院解散などほとんどないのだ。難癖をつけて与党批判をしたいのはメディアの常だが、選挙では億単位の広告収入が確実に入るため、内心は「選挙は大歓迎」なのだ。ジャーナリズム(正義)を振りかざしても、内実は下衆な商売である。
ともあれ、自分が立候補するわけでもなく、どこかの陣営に入るわけでもないのだが、やはり選挙になると血が騒ぐ。14日の夜が楽しみだ~

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カテゴリ : 政治選挙