「報道」という名の野次馬

広島市を中心とした局地的な豪雨により、一部地域で発生した土砂崩れや土石流により多数の住宅がのみ込まれ、数十人規模の犠牲者が出ているようだ。
今朝の各局ワイドショーはこのニュース一色で、司会者やコメンテーターはもちろん、現場のレポーターたちも「野次馬根性丸出し」なのを悟られないよう、取り繕った表情で伝えていた。
のっけから「テレビ批判」の物言いで恐縮だが、テレビという媒体は、活字だけで事象を表現する新聞とは違って「画(映像)」が何より重要となる。さらに「視聴率競争」という環境下にある以上、どうしてもセンセーショナルな画が欲しくなる。
そのため、今回のような大災害は「何より美味しいネタ」であり、現場スタッフは生き生きとしながら取材に飛び出していく。その際には本来の「ジャーナリズム精神」は影を潜め、「他人(ひと)の不幸は蜜の味」という野次馬根性の方が無限大に膨らんでいく。
それを如実に表しているのが、報道ヘリによる空撮である。
各局は、山も含めた現場全体が分かるように俯瞰撮影したいがためのヘリ出動なのだろうが、ある局の映像には家に取り残された住民が窓からタオルを振って救助を求めるシーンが写し出されていた。
救助隊が生存者を探している最中、一定の高度を維持していたとしても何十機ものヘリが周辺を飛び回っていては、かすかな「助けて」という声も掻き消されてしまうのは明白なのだが、お構いなしで飛行を続けていた。
また、地上のレポーターに至っては、今まさに救助されたばかりの人にも容赦なくマイクを向け、「どんな気分でしたか」という愚問を突きつけた。さらに、「いかに『お涙頂戴』のストーリーを作れるか」という視点で取材対象者を探し回るのが役目なのだ。
こうしたテレビ取材班の愚行は、東日本大震災をはじめとする大規模災害時に発揮される。もちろん、「明日は我が身」として国民に事実を伝えるという使命を持っているのは事実だが、「報道」という言葉がまるで万能特権であるかのような傍若無人ぶりは昔も今も変わらない。
先述したように、メディアにとって災害は単なる「ネタ」でしかなく、被災者に寄り添う気持ちなどこれっぽっちも持ち合わせていない。それどころか、被災者へのインタビューも台本を元に語らせているほどである。
映像は確かに「事実」を映しているが、その裏にある「嘘」の方が大きいことを、視聴者は知っておくべきだ。
…と、某キー局の現役ディレクター(友人)が「業界の暗部」として語っていた。
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カテゴリ : 報道誹議