「遺憾」はイカン

マウスの細胞に酸で刺激を与えると多様な細胞に分化する「万能細胞」ができたとして、理化学研究所(以下、理研)の小保方晴子氏らのグループが英・ネイチャー誌に発表し、世界的なニュースになった「STAP細胞」。だが、発表直後から各方面から疑義の声が寄せられ、論文の盗用や画像の捏造・流用などがほぼ確定的となっている模様である。
発表以降、日本のメディアは多くが門外漢だったためか、科学的アプローチによる研究成果の報道ではなく、小保方氏の側面的なキャラクター(リケジョ、かっぽう着、カラフルな研究室、ペットが亀、ムーミン等々)という下世話なネタばかりを取り上げ、内外から嘲笑されていた。
…のだが、どうやらその「キャラ」も、小保方氏を含む理研広報チームによる周到な「演出だった」(中日新聞)ことが発覚し、何から何まで嘘で固めた底なし沼に発展しつつあるようで…。
そして昨日、理研は「中間発表」という位置づけの記者会見を行ったが、野依良治理事長の「ネイチャー誌に発表した多岐にわたる共同研究論文の過程において、重大な過誤があったことは甚だ遺憾です」という言葉に違和感を覚えたのは私だけだろうか。
つまり「過誤」と「遺憾」という単語をそれぞれ誤用していると思われるのだが…。
【過誤】は「あやまち」「やり損じ」という意味であり、【遺憾】は「心残り」「残念に思うこと」である。
画像の加工や他の論文の丸写しなど、「意図」しなければできない状態なのが確定的な状態にも関わらず“過誤”とは、当該論文があたかも「誤って作成された」とでも言いたげな言葉である。
一方の“遺憾”に関しては、完全に「勘違い言葉」として定着しているようだ。企業のトップなどが謝罪会見を開くのは珍しくもない光景だが、「誠に遺憾」などと言ってしまうケースが多々ある。しかし、本来「遺憾に思う」のは謝罪される相手側であり、この言葉には使い方によって批判・非難の意味も内包されている。
今回のケースで例えると「論文にミスがありまして…いやぁ~残念ですわ」という他人事のようなニュアンスになり、不誠実な責任逃れという印象しか与えない。なぜ素直に「申し訳なかった」と言えないのか不思議なのだが、“遺憾”の方が真摯な印象を与えると勘違いしているのだろうか…。
ともあれ、この騒動の全体像はほどなく見えてくるだろうが、これによって「科学立国・日本」の信用は失墜すると思われ、国民としては「非常に遺憾」である。
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カテゴリ : 時事社会