市民が行かない「地元のまつり」

雪像製作に励む陸上自衛隊員
第63回「さっぽろ雪まつり」(2月6日~12日)の雪像製作が始まっている。近年は景気低迷に伴うスポンサー撤退などにより規模縮小(雪像数の減少)が続いているが、札幌を代表する冬のイベントとして国内外に認知されている。
写真のような大雪像(まだ雪山の状態だが…)は、陸上自衛隊(北部方面隊第11旅団)の「夜戦築城訓練」を名目とした民生協力によって製作されている。もちろん、雪像の元になる大量の雪の輸送・搬入も自衛隊の機動力によるものだ。
自衛隊は、本日で発生から17年になる阪神淡路大震災はもちろん、昨年の東日本大震災、そして海外の大規模災害においても救助隊として活躍してきたが、メディアなどでその存在がクローズアップされる機会は極端に少ない。これは雪まつりにおける雪像製作活動も同様で、おそらく「誰が作ったか」など考えもしない見物客は少なくないだろう。
また、現在の上田文雄札幌市長(3期目)は左翼思想で知られ、感情論で自衛隊を嫌悪しているのもまた有名な話だ。そのため、第11旅団は雪像製作をめぐり、ずいぶん市長の私情に翻弄されてきたという経緯がある。
札幌にとっては貴重な観光収入源とはいえ、自衛隊が今後も協力し続ける必要があるのか、このイベントの存在意義も含めて考えてしまうのが、毎年この時期である。
札幌には、内外に広く知られた「2大まつり」がある。この「さっぽろ雪まつり」と、もうひとつは「YOSAKOIソーラン祭り」だ。いずれにも共通しているのは、名称が「まつり」とはいえ本来の「神を祀る」という宗教的祭事ではなく「見世物」であること、そして、地元の札幌市民があまり関心を持っていないということだ。
2008年に北海道新聞が行ったアンケート調査によると、雪まつりを「見に行かない」と答えた札幌市民は約7割にのぼった。その理由は「毎年同じ」、「一度行けば充分」という、いわゆるマンネリである。前年と全く同じ雪像があるわけではないのだが、そのスケール感や細部の緻密さといった芸術性も、慣れてしまえば刺激にならないということだろう。
また、YOSAKOIソーラン祭りに至っては市民の中でも価値観が真っ二つに分かれており、「大嫌い」と公言してはばからない者は多い。参加形式がチーム単位で、最後には大賞などを決めるため「単なる自己満足ダンスコンテスト」、「あれでは『祭り』ではなく『お祭り騒ぎ』」、「うるさくて迷惑なだけ。公道でやるな」などと一部市民に酷評されているのだ。
いずれも百万人という単位の見物客を動員しているのは確かで、宿泊や物販など利害業界は一時的に潤っているのだろう。しかし、地元に感心を持たれない、あるいは好き嫌いが極端に分かれるようなイベントが、札幌の伝統行事として今後何十年、何百年と続くとは思えない。
私が過去に見た国内の有名な祭りに、岸和田市の「だんじり祭り」、青森市の「ねぶた祭り」、福岡市の「博多どんたく」などがあるが、いずれも300~400年の歴史を持ち、何より市民が誇りを持っているという意味で、札幌とは大きく違うと痛感したものだ。
(株)ブランド総合研究所の「地域ブランド調査」では、「魅力度ランキング」として市町村では札幌市が、都道府県では北海道がトップの常連となっている。ただ、これはあくまでイメージ調査であり、旅行経験者による直接評価とは別次元の話である。また、北海道の観光事情をうまく表現したこんな言葉がある。
「素材は一流、施設は二流、料理は三流、サービス四流、意識は五流」
地元市民にすら関心を持たれないイベントが、札幌市として誇れるものなのだろうか。そして、肝心の観光客に対するホスピタリティは果たして充分なものなのだろうか。
雪まつりも含めて、観光のあり方というものを真剣に考え直さなければ、北海道や札幌市の好感度ナンバーワンという「メッキ」はいずれ剥がれることになるような気がしてならない。
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カテゴリ : 時事社会