延命治療と尊厳死

麻生太郎副総理が昨日の社会保障制度改革国民会議で発した個人的な死生観が一部メディアに取り上げられ、後に発言を撤回した。(最下部に引用記事)
これは、終末期の患者を自身の立場に置き換えた上での「さっさと死ねるようにしてほしい」旨の発言だったのだが、前後の文脈を無視し、言葉の一部分だけを切り取って「問題だ」と騒ぐのはマスコミの常套手段である。とはいえ、麻生氏も相変わらず口が滑らかすぎで、オブラートに包むような表現は苦手のようだ。
だが、本人の意志に反して強制的に「生かされて」いる現状には様々な問題が孕んでいるようにも思える。完治する見込みのないまま全身にチューブを刺し、「とにかく死なせない」という現代医療の「常識」を前に、人間としての“尊厳”がどれほどあるのだろうか。
価値観は人それぞれだろうが、少なくても私は「延命だけが目的の措置ならば施してほしくない」という意思表示として、8年前から「日本尊厳死協会」の会員になっている。まだまだ一般的ではなく、法的にも問題はあるようだが、自殺とは根本的に違う「死ぬ権利」を認めてやってもいいのではないのだろうか。
尊厳死の宣言書 (リビング・ウイル Living Will)
私は私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。
この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。従って私の精神が健全な状態にある時に、私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
① 私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ぱすための延命措置は一切おことわりいたします。
② 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても一向にかまいません。
③ 私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
麻生副総理「さっさと死ねるように」発言撤回
麻生太郎副総理(72)は21日の社会保障制度改革国民会議で、高齢者などの終末期医療に関し、「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも、政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べた。
麻生氏はその後「個人の人生観を述べたものだが、公の場で発言したことは適当でない面もあったと考える。当該部分については撤回するとともに、議事録から削除するよう申し入れる」とのコメントを発表。
さらに「一般論ではなく、個人的なことを言った。終末医療のあるべき姿について意見したのではない。人生の最終段階を穏やかに過ごすことは大事だ」と記者団に釈明した。
麻生氏は国民会議で「高額医療を下げて、そのあと残存生命期間が何カ月か、それにかける金が月に一千何百万円だという現実を、厚生労働省も一番よく知っている」とし、財政負担が重い現状を指摘した。
患者を「チューブの人間」と表現し「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことができないと死ねません」とも語った。
延命治療を否定するような発言だけに今後、波紋を呼びそうだ。
(サンケイスポーツ 2012.01.22)
- 関連記事
カテゴリ : 政治選挙