
山口組分裂の余波が止まらない。
20日未明、東京・足立区の路上で、六代目山口組系と神戸山口組系の組員とみられる20人余りが殴り合い、3人が負傷するという事件があった。
「六代目山口組」という、
弘道会(名古屋)出身者らによる執行部の独裁体制に反逆した
山健組(神戸)ら多数の二次団体が離脱して
「神戸山口組」を旗揚げしたのが昨年8月のこと。
当初は暴対法の影響もあり
「抗争は起こりえない」という見方が支配的だったが、年明け頃から双方の末端組員による喧嘩をはじめ相手側の建物への発砲やトラック突入などの小競り合いが頻発していた。
とはいえ、あくまで
「嫌がらせの応酬」の域を出ておらず、組織を挙げて相手のトップのタマ(命)を取りにいく
「抗争」にまでは発展していない。それにも関わらず事態を重視した警察庁は、事実上の
「分裂抗争状態」と認定した。
大手メディアも
「山口組の分裂抗争」という主旨で経緯や現状を報じ、実話系雑誌は
「どちらに正義(?)がある」などといった分析もしているが、われわれ一般市民から見れば
「どっちもどっち」の話である。
ただ、ヤクザ社会の「掟」(おきて)を踏まえてみると、これは決して「分裂」ではなく
諜反者が破門・絶縁処分を受けて別の組織を作ったという構図であることが分かる。約30年前のいわゆる「山一抗争」とは全く違う
「逆縁」という要素が、今回の騒動の特殊性を物語っている。
ヤクザ社会における力学は、全て「盃」によって支配されている。一度「親子盃」や「兄弟盃」を交わせば、その縁は実の家族以上に強い結びつきとなり、その力関係は決して逆らうことのできない
「鉄の掟」となる。
「山一抗争」の場合は、山口組四代目組長となる竹中正久氏の
「盃を受けたくない」勢力が組を飛び出して一和会を結成したのが抗争の発端だが、今回の場合は
「六代目の盃を受けながら、それを返すことなく反旗を翻して出て行った」わけであり、この世界では
「万死に値する」反逆行為となる。
六代目・司忍組長の
「守銭奴ぶり」と出身母体である弘道会による
「支配・私物化」に、山健組をはじめとする元・主流派の堪忍袋の緒が切れた…という構図で報道されているが、それが正確な事情かどうかに関わらず、
掟破りの「逆縁」を働いた時点で、
神戸山口組の行動に大義はないと思われる。
まぁ何にせよ、喧嘩をするのは勝手だが、決してカタギ(市民)に迷惑はかけないでほしいのものだ。
かつて「ヤクザ」といえば、テキ屋や博徒を生業としながら
「強きをくじいて弱きを助ける、義のためなら命も惜しまぬ男気ある気性」を体現した
「任侠団体」としてカタギと共存し、警察すらその存在を「必要悪」と認めていた。
ところが現代ヤクザは、バブル期の「地上げ」をはじめ覚醒剤の密売や組織売春、さらには闇金やオレオレ系の特殊詐欺など、
カタギを守るどころか食い物にする「暴力団」へと変質し、そして肥大化していった。
当然、警察は治安維持のために「壊滅」を目指すことになり、度重なる法改正によって
「基本的人権」すら奪われる身分になってしまった。いわば
身から出た錆であり、本来の存在意義である
「任侠道」を捨てたツケが回ってきたのだ。
「伝説の大親分」として名を馳せた山口組三代目・
田岡一雄氏は、草葉の陰で何を思うのだろうか―。
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