永遠も半ばを過ぎた

フリーデザイナー兼カメラマンの苦言・放言・一家言

アップルよ、どこへ行く

2014/09/20(土)

アップルストア青森店

米アップルの「iPhone6」発売に際し、都内各地のアップルストア前には発売日の何日も前から行列ができ、「○○メートル(○○○人)も並んでいる」とメディアが報じるのは、iPhoneが新しくなる度に繰り返される「いつもの光景」である。と言いたいところだが、今回は少し様子が違うらしい。

中国でiPhone6の発売が延期されたために国内での売値が異常に高騰し、これに目をつけた中国人が大挙して押し寄せ、列に無理やり割り込んだり、ホームレスを買収して占拠させたりしていたようで、アップルストア前の異様な光景(写真)の数々がネット上に溢れている。(→ 一例)

通信アプリ「LINE」のアカウント乗っ取り詐欺も大半が中国人の犯行と言われるが、まぁ「カネ」が絡むと本当にタチの悪い連中だこと…。

それはさておき、iPhoneのモデルチェンジは年に一度の恒例行事だが、もはや「売らんかな」だけのイベントになり果てている感がある。筐体は個性を捨ててアンドロイド系の二番煎じのようであり、iOSに至ってはバージョンアップの度にユーザーから「改悪」と言われる始末。

どこをどう調べても iPhone6に新しい魅力を見出せず、この「新型登場」に熱狂している層が単なる「新しもの好き」なのか何なのか、どうも真意が図れない。スティーブ・ジョブスが存命だった頃とはビジョンや方向性が異なる方向へ向いている感じがして、もはや「革新性」が売りだった頃の面影はない。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
私もiPhoneユーザーの一人だが、未だ「4S」からハードを新しくしたいと思ったことはなく、iOSを6から7にアップデートした時には「アップルは終わった」とさえ思ったものだ。

思い起こせば、初めてアップル製のパソコン(Power Macintosh 8500)を手にしたのはもう20年以上も前だが、この頃はウィンドウズ搭載のPC/AT互換機が圧倒的主流派で、そんな中でも個性とアイデアで勝負していたアップルの企業姿勢が好きだった。

それが今や、時価総額(8月末現在)が6千億ドルを超え、「世界一」に君臨する存在に成り上がった。ジョブス亡き後でも、当時の情熱は残っている…と信じたいところだが、果たしてどこへ向かっているのだろうか。

カテゴリ : 経済産業

「投票率」を考える

2014/09/19(金)


英国北部のスコットランドで、連合王国からの独立の是非を問う住民投票が行われ、反対票(55.3%)が賛成票(44.7%)を上回り、独立は否決された。

このニュースは現地から遙か遠い日本でも大きく報道されたわけだが、「英国(イギリス)が単一国家ではない」ことを今回初めて知った向きも多かったことだろう。また、スコットランド住民の「British(英国人)でもありScottish(スコットランド人)でもある」という感覚は、我々日本人には実感としてピンとこない。

だが、スコットランド独立運動の大きな理由である「北海油田の利権が中央政府に吸い上げられている」ことが独立で本当に解消されるのかどうかは別として、約300年ぶりに完全な自立国になるかどうかという問題であり、住民の関心の大きさは何となく想像できる。

約85%という驚異的な投票率もそれを物語っており、世界中が固唾をのんで投票結果を見守ったのも当然な「国際的一大事」だったわけだ。個人的な賛否はといえば、若かりし頃はブリティッシュ・ロックに傾倒していただけに「ユニオン・ジャック(英国旗)が消滅するのは淋しい」というだけの理由で「反対」だった。

それはともかく、今回のニュースで改めて一般的な公職選挙と住民投票の「投票率の違い」を考えさせられた。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
数は少ないものの、過去には日本においても大規模事業の是非などを問うべく、自治体が条例を制定して実施されたことがあった。良くも悪くも住民の生活に直接影響を及ぼすため、議会だけでは決められない(決めてはいけない)ほど大きな事案ということになり、おのずと投票率も高くなる。

一方、通常の公職(特に地方の首長や議会)選挙となると、大抵が目を覆いたくなるほどの低投票率だ。4年に一度の恒例行事であり、有権者には「誰がやっても同じ」という意識が強く、積極的に意思表示をしたいと思わせるものではない。それは国政選挙も決して例外ではない。

民主主義国として、地方における二元代表制は必要不可欠な制度ではあるものの、その存在自体はすっかり形骸化し、有名無実化しているのは誰の目にも明らかだ。政務活動費の不正支出が問題になっても、住民が「血税を無駄に使われた」と声を上げることは皆無に近く、一部の市民団体などが抗議するのが関の山である。

国民全体の「危機感の低さ」を如実に物語っている現象ではあるが、裏を返せば、それだけ日本が平和な国だということにもなる。誰が首長になろうが、よほどブッ飛んだ候補者が当選でもしない限りは革命が起きるわけでもなく、市民生活はほとんど変わらない。その積み重ねが「慢性的な低投票率」に繋がっているといえる。

私は以前、NPO法人の代表として、公職選挙への関心と「自らの意志で選んでもらう」ことを目指し、候補者が一堂に会しての「公開討論会」を道内全域で推し進めてきた。そこで身をもって感じたのが「(自治体の)人口と投票率は“反比例”する」ことだ。

例えば、人口が数千人程度の町の首長選挙で有力候補が2人立つと、まさに今回のスコットランドのように地域が2つに分裂するケースが多い。住民間の繋がりが強いため、それが「しがらみの強さ」でもあるためだ。そういう意味で、札幌市長選は「市民の無関心」の典型例だろう。「今の札幌市長は誰?」という質問に答えられない市民がどれほど多いことか…。

何にせよ、「選挙の低投票率は平和な証拠」などと自慢気に言ってはいられない。この国民的無関心こそが、政治の腐敗と低レベル化を招いたのだから…。

カテゴリ : 政治選挙

任侠・ヤクザ・暴力団

2014/09/14(日)
140914.jpg

福岡県警は13日、北九州市の指定暴力団「工藤會」ナンバー2の田上不美夫会長(58)を殺人容疑で逮捕した。これに先立つ11日には、トップである野村悟総裁(67)が同容疑で逮捕されたばかりで、いずれの件も組幹部らと共謀して北九州市の漁協組合長を射殺したというもの。

2000~09年、一般人を対象にした報復目的の殺人未遂や放火事件を5件起こしたとして、工藤會は2012年に全国で唯一の「特定危険指定暴力団」に指定された。そのツートップの逮捕劇ということで、全国ニュースとして報じられた。

Wikipediaの「工藤會」では、組織の傾向として「極めて好戦的」「強烈な反警察志向」「容易に激昂する」「闘争行動それ自体に価値を見出す」「最も先鋭的な武闘派組織」などと表現されているが、一方では木村博幹事長が前面に立ってメディアのインタビュー取材などを積極的に受ける団体としても知られる。

あるインタビューによると、木村氏は「我々は60年以上も北九州市を独占的に押さえ、他の暴力団や半グレ、不良外国人なども我々が駆逐してきた。いかに地域に密着してきたかという証左であり、カタギの市民を殺害するなどあり得ない」という主旨の発言をしている。

市内で頻発していた発砲や放火事件も、県警やメディアは「工藤會による犯行」と確信しているが、ほとんどの事件で工藤會と結びつける証拠が一切出ず、未解決のままとなっている。漁協組合長殺人事件も含め、同会は「全て工藤會の仕業にさせようとしている冤罪」と主張しているわけだ。

それが事実かどうかは知る由もないが、福岡県公安委員会が同会を「特定危険指定暴力団」と定めた理由として「暴力的要求行為等が多数敢行されていることなどから、工藤會の構成員等が更に反復して暴力行為を行う恐れがある」と主張しているが、これには疑問が残る。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
指定するにはそれに見合う客観的な裏付けデータが必要になるが、工藤會組員を逮捕し取り調べた実績しか基礎データになり得ない中、全国的にも検挙率が低い福岡県警にそれだけの蓄積があったのかどうかは疑わしい。

少なくても、警察庁が発表している「暴力団情勢」では工藤會の暴力的要求行為等の発生率は全国平均値を下回っており、証拠を掴めず逮捕に踏み切れない当局の焦燥感が強行的に指定した「勇み足」だとする見方は少なくない。

何にせよ、今回の逮捕劇によって他の一連の事件も全容を解明できるのであれば、市民も安心して暮らせるようになるだろう。

  ◇

さて、近年の暴力団だが、暴力団対策法の改正や都道府県の暴力団排除条例などにより、暴力団と商取引したというだけで一般市民すら検挙される時代になった。しかし、法律も条例も暴力団の「存在自体を違法」とはしていない以上、彼らも日常生活というものがあり、いわば「暴力団に缶コーヒーを売った自動販売機が逮捕される」時代になっている。

戦後の正統派(?)ヤクザは、「任侠」という言葉もあるように地域に溶け込み、いわゆる「岡っ引き」として無法者を駆除するなど「警察の別働隊」という側面を持っていた。だが、時代とともに博徒やテキ屋は淘汰され、ヤクザは「暴力団」という名称に変わり、バブルを経てその体質も様変わりしていったという。

組織売春・覚醒剤・ヤミ金融など反社会的な「シノギ」を資金源とし、一般市民に対する暴力行為も見られるようになった。こうした変質が自らの存在意義を貶めるようになり、芸能や政治など多くの業界と築いた「持ちつ持たれつ」の関係を精算することになり、すっかり「社会の害悪」として認知されることになった。

とはいえ、例えば1995年の阪神・淡路大震災発生時には真っ先に被災地に駆けつけ、救援物資の調達や炊き出しなどを行ったのが「五代目山口組」だったのは知られた話。それが「偽善」と言われようと、多くの被災者の力になったのも事実であり、彼らにも任侠道の片鱗は残っていたという印象は与えた。

現在でも、法律によって警察が手を出せない領域で「縄張りの治安」を守ってきたのは暴力団なのだが、彼ら自身が法律によって衰弱させられた今、台頭してきたのが傍若無人な不良外国人で、裏社会では最も力を持つことになる。

だが、不良外国人を取り締まる法律を制定しようにも、いつもの人権団体から「人種差別」との批判が噴出するのは必至で、法案が準備されることすらないだろう。カタギに対する最低限の節度は持っていた暴力団とは違い、不良外国人には「地域」「地元」などという概念がないだけに、日本の治安は悪化の一途を辿ることになるだろう。

法令の強化によって市民はおろか警察官に対しても暴力団員への接触を制限した結果、マル暴の刑事でさえ情報を取ることが難しくなっているという。結果として暴力犯罪の取り締まりを逆に難しくしており、警察庁はいわば「自分で自分の首を絞めている」ことになる。

暴力団を擁護する気はさらさらないが、「社会悪」である彼らも場合によっては「必要悪」であった。しかし、「何が何でも暴力団を壊滅させる」という感情的な理想論は「別の悪」を生み出すことになり、結果的に「治安がいい平和な国」という国際的な評価を打ち砕く結果になるような気がするのだが、どうなることやら…。

カテゴリ : 時事社会

忘れられない名字

2014/09/13(土)
140913-1.jpg

「Livedoor NEWS」で発見した某記事を読み、高校時代を思い出した。
その記事とは、

「結婚したらこんな名前になりたいと思う『かっこいい苗字』 1位は?」

というもの。リンク先を読めばすぐに回答が出てくるので上位5つを列挙すると…
1位:結城、 2位:橘、 3位:如月、 4位:一条、 5位:一之瀬
6位以下も含めて、どれもこれも漫画やドラマの主人公名として出てきそうだ。(ちなみに「山下」はというと…まぁ圏外だわな)

この記事を何気なく読み、「かっこいい名字」というキーワードで思い出したのが、高校1年生の時に交際していた女性だ。

入学して間もない某日の休憩時間中、次の授業(数学)の教科書を忘れたことに気付いた。当然、クラスメートに借りるわけにはいかないので、助けを求めて(アテもなく)隣の教室に入り、たまたま入口付近に立っていた見知らぬ女子生徒に頼んだところ、快く貸してくれた。

とはいえ、自他共に認める数学嫌いの私が授業に集中するはずもなく、教科書をパラパラとめくっていたところ、表3(裏表紙の裏)部分に小さな字で書かれていた自筆の名字に衝撃を受けた。

「おぉ!なんてかっこいい名字! ス・テ・キ」 と…。

え?何という名字かって? 記憶では、当時の道内でも数件しかなかったほど珍しい名字なので、特定を防ぐ意味でもここに書くわけにはいかないが、ヒントとしてこの画像だけ載せておこう。あとは、相撲の土俵い…ゴホッゲホッ!

【続きを読む】
【続きを閉じる】
閑話休題。

それ以降、彼女のことが気になり始め(名字に惚れたわけではない…)、たしか翌々日には交際を申し込み、成就したその瞬間から「彼女と結婚したら、自分の姓は捨てる!」と決心していた。(名字に惚れたわけではない…)

だが、当時(30年前)の高校生の恋愛ほど稚拙で刹那的なものはなく、結局は半年ほどで別れてしまった。互いに納得した結論だったものの、「あの名字」を名乗れる可能性を失った失望感はかなり大きかった。(だが名字に惚れたわけではない。いやホント…)

以来、現在でも酒席などで名字や過去の恋愛が話題になると彼女の話をすることがあるが、今も元気だろうか。何歳になったんだろ…(はい、ここでツッコミ)

カテゴリ : 末梢雑記

朝日新聞 「終わりの始まり」

2014/09/12(金)

謝罪する朝日新聞・木村伊量社長(中央) ※写真(C) 読売新聞


「アカが書き ヤクザが売って バカが読む」

これは朝日新聞のことを揶揄した、詠み人知らずの川柳として有名な言葉だ。言うまでもなく、「アカ」とは左翼の別表現で、「ヤクザ」は販売店ではなく拡張員のこと。そして、少し考えれば記事の欺瞞は分かるはずなのに、鵜呑みにしてしまう愛読者は「・・・」ということなのだろう。

取材姿勢や思想が災いし、経営陣から末端の記者まで「傲慢」というレッテルを貼られている朝日新聞だが、昨夜ついにトップが落城した。

30年以上にわたり、国民はもちろん世界を騙し、日本(人)を貶め続けた「従軍慰安婦」に関する一連の捏造記事を取り消し、さらにジャーナリスト・池上彰氏の連載コラムの掲載を拒否した問題で各方面から非難されていた矢先、今度は福島第一原発事故の際の東電社員の行動について「誤報」をしたとして、同社の木村伊量社長が異例の記者会見を開き、全面的に謝罪したのである。

とはいえ、会見の全文を読んでみると随所に言い訳めいた表現もあり、そういう意味では「完落ち」ではなかったようだ。特に池上氏のコラム拒否については「言論の自由の封殺であるという思いもよらぬ批判を頂いた」と、いかにも心外だと言わんばかりで、これが「オピニオンリーダー」「クオリティペーパー」(いずれも自称)のトップというのだから片腹痛い。

慰安婦問題に関しては、当初は否定していた「記事取り消しに伴う謝罪」を初めて行ったのだが、その対象は「読者の皆様」だった。記事によるその後の影響の大きさを考えれば、本来は「全国民の皆様」であるべきだろう。また、「いわゆる“吉田証言”は虚偽だったため記事を取り消すが、(慰安婦徴用の)広義での強制性はあった」との姿勢を崩すことはなかった。

何をもって「強制」とするのかは個々の判断によるが、少なくても「(貧困により)親に売られた」という証言はいくつも存在している。それが「本人の意に反する」ものだとしても、日本軍による強制には当たらないのは明白だ。それどころか、現在の貨幣価値に換算すると月収300万円にもなる「おいしい商売」に、自身で応募したケースがほとんどだったという検証もあるほどだ。

これに関しては以下のサイトが詳しく解説しているので、信憑性の判断も含めて参考にされたい。(一部、タイトルが感情的ではあるが…)

【続きを読む】
【続きを閉じる】
「従軍慰安婦の真実」
「従軍慰安婦は嘘!ただの売春婦だ!ふざけるな!!」
「慰安婦が慰安所で性的行為を強要されたなど、噴飯物である!」
「慰安婦問題考える前に押さえておくべきこと」


◇

今回、問題視された3例にとどまらず、朝日新聞というのはとにかく虚報や捏造記事が多いことで知られるが、その根底にあるのは「結論ありき」の姿勢だろう。2012年、政治評論家の故・三宅久之氏が当時の朝日新聞論説主幹にインタビューした際、「安倍晋三叩きは社是」と発言したのは有名な話だが、事実に対する批判ではなく、「(批判という)結論ありき」の体質を如実に物語っている。

また、「自虐史観」が顕著な新聞でもあるが、とにかく日本(人)を悪く書きたいという強固な思想に支配されているため、最初からストーリーを作り上げ、それに沿った取材しかしていないのが記事から読み取れる。だから裏付けが不十分なまま「飛ばし」てしまうのだ。「吉田調書」しかり、「吉田証言」しかりである。

朝日は一連の虚偽記事を「誤報」として片付けようとしているが、本質を分かっている層の誰もが、それらが過失を意味する「誤報」ではなく、意図的なミスリードである「捏造」だということを分かっている。そのためか、「朝日の紙面で信用できる情報は3つだけ。(記者の意志によらない)テレビ欄、お悔やみ欄、そして日付だ」と揶揄する評価すら存在するのだ。

そして、このような体質こそが多くの識者が朝日最大の問題点であると指摘しており、今回の会見を受けて書かれた論評の中で核心を突いている部分を2例、以下に引用する。

元・共同通信論説副委員長 藤田博司氏

取材して編集する、新聞や放送で情報を送り届ける。すべての過程において公正さが求められる。誰に対しても説明できる取材方法か、取材者に予断や偏見・思い込みはないか、自分の信念や問題意識に沿って都合のよい話を書いていないか、そうした点をすべて排除し、注意を払って正確に事実を伝える最大限の努力をしてきたか。それが今、問われている。

 ※朝日新聞(本日付) 「『公正さ』を欠き 批判は免れない」 より)

在英国際ジャーナリスト 木村正人氏

ジャーナリズムは朝日新聞の考え方を一方的に押し付けるためや朝日ブランドを高めるためにあるのではなく、国民一人ひとりの幸せを実現するためにある。レッテルをはるのではなく、レッテルを剥がすのがジャーナリズムの役目である。偏見と先入観という曇ったガラスを破壊するのが解体的出直しの第1歩になるだろう。

 ※ブログ記事 「朝日新聞はどうして産経新聞に敗れたのか」 より

参考までに、朝日記者たちの「本性」と「本音」と「本質」を垣間見ることができるリサーチを見つけたので、ぜひ読んで頂きたい。

「池上コラム不掲載問題、異議を唱えた記者以外は何を呟いていたか」

朝日新聞は、ジャーナリストとしての「誇り」が「驕り」に変質してしまっている。これを根本から見直さない限り、読者は離れる一方だろう。今回の社長会見が新聞社としての「終わりの始まり」にならないためにも…。

カテゴリ : 報道誹議

再認識した「札幌の住みやすさ」

2014/09/11(木)

(たぶん)豊平川河川敷…

就寝から間もない午前3時過ぎ、けたたましい音でスマホに緊急警報が通知され、以降は7時台にかけて断続的に20回以上も届いた。これは、札幌管区気象台が、札幌を中心とする計35市町村に道内初の「大雨特別警報」を発令したことによる措置だった。

とはいえ、私が住む手稲区富丘周辺は路面が濡れる程度にしか降っておらず、警報といってもいまいちピンとこなかったのだが…。

札幌市内に限ると、避難勧告対象者は約78万人、避難所は158ヶ所に設置されたが、実際に避難した住民はピーク時で479人だったという。単純計算では、勧告1万人に対して6人しか避難しなかったことになる。結果論とはいえ、この豪雨による直接的な犠牲者がゼロだったことを考えると、そもそもエリアだけで区切って78万人にも勧告したこと自体が「やりすぎ」だったのではないか。

山麓など土砂崩れの恐れがある地域ならともかく、そうでない場合は家屋への浸水を防ぐ方が先決で、それを放ってまで避難している場合ではないはずだ。

もし万が一にも78万人のほとんどが避難していたら、避難所1ヶ所あたりの収容人数が5千人(平均)にもなった計算で、現実的には受け入れ不可能な数字である。他の市町村では勧告対象者数と避難者数が2:1ほどと大きく乖離しておらず、余計に札幌市の判断能力が問われることになったのは残念だ。

ところで、札幌市民として振り返ってみると、こういった自然災害(多くの市民にとっては「単なる大雨」で済んだが…)は久しく記憶がない。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
特に近年は本州以西で豪雨による家屋の浸水や土砂災害が多発し、犠牲者も多く出ている。しかし、札幌市民にとってはどこか他人事のような感覚で、「明日は我が身」という危機感は持ちにくいのが正直なところ。

それだけ自然災害が少ないことに他ならず、それは地震も同様だ。平成に入ってから道内で起きた巨大地震は、釧路沖地震(5年)、南西沖地震(5年)、東方沖地震(6年)、十勝沖地震(15年)が挙げられるが、いずれも札幌には被害が及んでいない。

また、地理上の理由から、北海道は「台風が来ない」「梅雨がない」と言われてきた。最近は必ずしも当てはまらないことがあるにせよ、やはり本州以西に比べると快適この上ない。冬の降雪量は少なくないものの、北陸や東北などの豪雪地帯に比べたらかわいいものだ。

「住めば都」という側面もあるとは思うが、それにしても札幌という街の住みやすさを改めて認識した今回の豪雨だった。

カテゴリ : 時事社会

またもや無意味な「政略結婚」

2014/09/10(水)
140910-1.jpg
「すぐに離婚する」 に1票

現・次世代の党と「離婚」したばかりの日本維新の会は今月21日、今度は結いの党と「再婚」する(予定)。これに先立ち、モメていた新党名を「維新の党」とすることで両党の両院議員懇談会が合意したという。

当初は「日本維新の会・結いの党」という、何の工夫も独創性もない案が出されたものの再考することになり、すったもんだの末、結いの党側が妥協する形で折り合った。だが、その前に同党の江田憲司代表は会見で「ガラス細工の上に成り立っている合意だ。一点が崩れれば全部崩れる」と語り、すでに信頼関係が崩れかけた合併だという危惧を自ら吐露した格好だ。

また、1年間の暫定措置とはいえ、またしても維新特有の「橋下&江田」という共同代表制をとり、さらに党本部すら大阪と東京に分けるという。これでは完全な「別居婚」であり、一緒になる意味があるとは到底思えない。

「自民1強」に対抗するための野党再編(離合集散)の一環でありながら、思想信条で考えると維新の会は自民に近く、リベラル路線の結いの党とはそもそも相容れないはずである。そして、維新側の「吸収合併」、結い側の「対等合併」との認識のズレも「相思相愛」になりきれず、新党名でもモメた要因だろう。

どんな組織であれ、名称は大切である。複数の組織が一緒になるのであればなおさら、ネーミングには腐心することだろう。いわゆる「金融再編」の時にも多く見られた現象だが、互いのプライドが邪魔をして結局は「両者の名前をくっつけただけ」というケースは少なくなかった。

最近でいうと「損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険株式会社」がいい例で、あろうことか同一社名に「ジャパン」と「日本」を入れるというトンチンカンな会社が9月1日に誕生したばかり。第一勧業銀・富士銀・日本興業銀が合併して「みずほ銀行」と刷新したケースとは全く対照的である。

何にせよ、両党は主導権争いをしている場合でも立場でもないだろう。時事通信が8月14日に発表した政党支持率を見てみると…

【続きを読む】
【続きを閉じる】
140910-2.jpg

維新の会が1.2%、結いの党が0.1%という惨憺たる数字である。新党の両院議員数こそ計76名となり、法案によっては採決時にキャスティングボートを握る場合もあるのだろうが、そもそも国民にほとんど支持されていない政党同士が、いがみ合いながら一緒になるメリットは何なのだろうか。

そう考えると他の野党勢力も五十歩百歩で、最大野党である民主党でさえ8月になってやっと5%を超えた程度である。全野党(公明党も含む)の支持率を合計しても13.2%と自民党には遠く及ばなく、もはや存在価値すら疑われるほどの惨状だ。

アメリカのような二大政党制になることを期待された現行の小選挙区制度だが、自民党のライバルになるはずだった民主党は「底の浅さ」が国民にバレたため、事実上の自民党独裁政権にならざるを得ないのが日本の現状なのだ。

イデオロギーが似たり寄ったり(一部の保守政党を除く)で存在(税金投入)価値のない野党は離合集散よりも「ひとつ」に結集し、(ざっくり過ぎる例えだが)「愛国vs売国」という二大政党制になった方が、政治の構図として国民も分かりやすいと思うのだが…。

カテゴリ : 政治選挙

忘れていた趣味…「テニス」

2014/09/09(火)
140909.jpg
全米オープン2014決勝戦での錦織圭 (写真著作者不明)


テニスの全米オープン・男子シングルス決勝において、錦織圭(日本)がマリン・チリッチ(クロアチア)にストレートで敗れ、日本人初のグランドスラム優勝という歴史的快挙を逃した。

それ以前、国内ではベスト8進出あたりから各メディアが騒ぎ始め、決勝進出を決めた頃には日本中が大フィーバーとなった。

その影響で早速、スポーツ店のテニスコーナーにはラケットを買い求める客が、テニススクールには入学申し込みが、そして決勝戦を独占中継するWOWOWには加入の問い合わせが殺到したという。

放映権を持たないNHKには「なぜ中継しないのか」という「にわかファン」からの問い合わせが相次いだため、急遽WOWOWから録画放送の権利を購入して放送期日を本日13時5分に設定した。ところが、放送前には錦織の敗戦が決まり、NHKは「平日の昼間に負け試合を再放送する」ハメになった。仕事をサボッてでも観る視聴者はそう多くないと思われ、結果論とはいえ、とんだ「とばっちり」を受けた格好となった。

何にせよ、このような現象(ブーム)は、トリノ五輪(06)での女子カーリングや、FIFA女子ワールドカップ(11)で優勝した「なでしこジャパン」など過去にも見られた。だが、それまでマイナーだった競技が一躍注目を集めるも、ブームは1年も保たずに去るのが常だ。テニスの裾野が広がるのは歓迎すべきことだが、長く愛されてほしいものである。

ところで、錦織の活躍でテニスが注目されたことで、自分も過去にテニスをしていたことを今さらながら思い出した。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
140909-2.jpg

約8年ぶりに道具を引っ張り出してみたが、特にラケットはストリング(ガット)を張ったまま放置していたことになり、ずいぶん粗末に扱ってしまったものだ。

私がテニスに興味を持ち始めたのは小学校高学年の頃。「週刊少年ジャンプ」で連載が始まった漫画「テニスボーイ」がキッカケだった。ちなみに、「エースを狙え!」も嫌いではなかったが…。

漫画ならではの超人的なプレーに魅了され、実在のプレーヤーではピョン・ボルグに憧れた。中学に入ると当然テニス部に入部したのだが、当然に新入りが強いられる「球拾い」の毎日に「こんなはずでは…」とクサってみたり。

練習試合ができる程度に上達した頃、テニスが「並外れた運動量と瞬発力が要求されるスポーツ」だということを思い知り、別に興味を持ち始めていた音楽(楽器)にさっさと乗り換えた根性なしだった。

しかし、その後に大学生として住んでいた当時のアメリカにはレジャーが少なかったため、放課後はもっぱら「テニス・ボウリング・ビリヤード・映画・バンド活動」のいずれかで過ごす毎日で、テニスはこの頃に(ある程度)上達した。

帰国後も年に20回程度、近くの公園のコートで友人相手に遊ぶ程度だったのだが、2007年に少年野球審判を始めるようになり、所属する連盟の試合日程(シーズン中は毎週末)に沿って活動するため、テニスは途絶えてしまった。

そんな状況で錦織の活躍を見てしまったばかりに、またぞろテニスへの興味が沸いてきた。とはいえ、平日の日中に限られるので相手もいないのが現状だ。

どなたか都合のいい方、テニスしませんか?(笑)
(文中敬称略) 


カテゴリ : 時事社会

第二次安倍改造「性差別」内閣

2014/09/04(木)
140904.jpg
写真(C) 朝日新聞デジタル

昨日、第2次安倍改造内閣が発足した。官房長官をはじめ、財務相や外務相などの主要閣僚は留任させ、同時に刷新した党役員では前総裁を幹事長に抜擢するなど、メディアも含めて全般的に「手堅い人事だった」との声が多い。(一部野党は批判しているが、それが「役割」なので参考にならない)

新内閣で注目されたポイントは、何といっても女性閣僚が過去最多タイの5人も誕生したことだろう。これに関しては、内閣全体や党役員の評価以上に好意的に捉える向きが多く、自民党政権の「天敵」である左翼メディアでさえ歓迎する論調が支配的だった。

だが、これは国民にとって本当に歓迎すべき人事だったのだろうか。

現在、女性国会議員の比率は衆参合わせて10%程度。首相を除く閣僚18名に対して同じ比率を当てはめると、女性は2名弱である。つまり、単純に数字だけで見ると2倍以上の女性を「意図的に充てた」ことになるが、これが「評価に値する」ことらしい。

青臭い正論だけを言えば、日本の未来を左右する内閣の構成者たる閣僚は実績や能力で選ばれるべきであり、いわゆる「当選○回の待望組」などという現象などあってはならないはずだ。多くの議員の当選回数と資質が比例していないのは誰もが認めるところだろう。

同じ解釈で、能力もないのに「女性」というだけで閣僚に据え、その多数を誇示する内閣だとすれば、それは男女どちらにも対する「性差別内閣」である。

少なくても「適材適所で組閣したら、結果として女性が5人になった」という顔ぶれではなく、「女を多めに突っ込んどけば文句は言われないだろう」という思惑が透けて見えるのだ。

それに、「女性活躍大臣」ってなんだ?あえてこのような特命担当相を新設したこと自体、女性に対する「気遣い」という名の差別ではないのか。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
近年は「女性の社会進出」が盛んに喧伝され、国家たる内閣も率先して…ということなのだろう。だが、始めから「女性登用ありき」ということは、言うなれば
「女性なので起用→(特別扱い=正当な評価ではない)→不当評価」
という構図に他ならず、ならばフェミニストたちが大好きな「差別批判」が出てもおかしくないはずなのだが、逆に喜んでいる有り様だ。

あるいは、もし首相が「今回の組閣は男性を優先します」とでも言おうものなら狂ったように「女性差別だ!許せない」と叩くだろうに、その逆ならば歓迎するという自己矛盾には気付きもせず、だからこそ主張には説得力がないのだ。

国会議員としての権利や義務は男女で何ら区別はなく、「立候補」という機会の平等も保証されている。その中で、そもそも女性の立候補者が少ないのだから当選議員が少ないのも必然であり、それを以て「日本は遅れている」という解釈は見当違いである。それは当然、内閣にも当てはまる理屈であり、このように「女性ありき」で組閣された新内閣は、一人の国民として支持できない。

とはいえ…

大臣職は昔から派閥や当選回数で決められるものであり、「その道のプロ」が就くケースはほとんどない。省庁にとっても、レクチャーがないと国会答弁すらできず、数ヶ月から長くても3年程度で辞めてしまう大臣などは単なる「御輿」でしかない。

内閣の顔ぶれがどれほど注目を集めたところで、結局、国家を動かしているのは官僚である。そして、彼らが優秀だからこそ日本は世界有数の経済大国に発展したのも紛れもない「史実」であろう。

…ということは、内閣は「国家の顔」でさえあればいいわけで、「御輿」として女性を多用すればアピールにもなり、万事めでたしということか…。

さすが安倍ちゃん、やっぱり「手堅い人事」だったわ。支持しましょ

カテゴリ : 政治選挙

延長50回…審判員の「掟破り」

2014/09/01(月)
140831-1.jpg
写真(C) The Huffington Post

第59回全国高校軟式野球選手権の準決勝で、崇徳(西中国・広島)と中京(東海・岐阜)が延長50回という死闘を繰り広げたことが大きな話題となった。

特に中京の松井大河投手が、7日間4試合で75回、計1,000球を超える投球をしたことに対して一部の言論者が「これは残酷ショー。高野連は対策を」などと大会規程のあり方を批判している。

高野連では延長15回で決着がつかなかった場合、硬式は再試合、軟式はサスペンデッド(一時停止)試合とする規程になっている。つまり、軟式では再開後の初回で決着がつく可能性もあり、一から試合をやり直す硬式より負担は少ないことになる。

ところが、スポーツ報知の記事(8月31日付)には次のような記述があった。

「日本高野連の竹中雅彦事務局長(59)は30日、今回の試合を受け「サスペンデッドゲームの限界が見えた気がする。(硬式の甲子園大会より)軟式で先に導入するべきという意見が出てくることが予想される」と、延長戦でのタイブレーク制導入を検討することを明かした」

この試合をキッカケに、もともと反対意見の多いタイブレーク制導入の可能性を示唆しているわけだが、これほどの長丁場になる試合など100年に一度もない稀有なケース。たった一度の奇跡的な事例を理由に大会規程を簡単に変えてしまうのはいかがなものか。

【続きを読む】
【続きを閉じる】
どんな規程にも必ず「理由」があるはずで、それを変えなければならない要因に当たるケースとは思えず、言い換えれば「選手の健康を考慮していない」という批判を恐れる高野連の事なかれ主義に他ならない。

※参考記事 → 「事件発生 → 『規制します!』(キリッ)」

何にせよ、タイブレーク制はまだ「検討の余地あり」という段階に過ぎないが、無責任な世間の批判に流されやすいのは大企業や自治体などにも多々見受けられる風潮だ。「毅然」という言葉は死語になりつつあるのだろうか…。

  ◇

ところで、この延長50回という死闘、サスペンデッドで4日間かけて行われたわけだが、同一試合のため、一度ベンチに下がった選手は二度と試合に出られないのがルール。ところが、審判員は「人員変更」というルール破りをしたようだ。

「公認野球規則」には、次のような条文がある。

9.02 審判員の裁定
(d) 試合中、審判員の変更は認められない。ただし、病気または負傷のため、変更の必要が生じた場合はこの限りではない。


試合中の審判員の変更理由は「病気または負傷」以外には認められていない。もちろん、4日間におよぶサスペンデッドは想定外だったろうが、それは選手たちも同じはずだ。だが、選手にだけルール適用を強要し、審判員だけが「疲れたから」「翌日に用があった」などの理由で交代したのだとすれば論外である。

審判員の変更が認められない理由は、特に球審の「ストライクゾーンが変わる」ためではないかと考えられる。ゾーンとして一定の基準はあるが、実状は「十人十色」である。双方のチームにとって条件は同じとはいえ、試合の途中からゾーンが変わるようでは投手はたまったものではない。

ともあれ、審判交代に関する疑問の声はどこからも上がっていないようだが、高野連はタイブレーク制の検討よりも、この「掟破り」の方を問題視してほしいものだ。審判員が自らを律しないで、何が「ルールの番人」なのかと…。

カテゴリ : 時事社会
ホーム
Calendar / カレンダー
08 | 2014/09 | 10
日 月 火 水 木 金 土
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
Profile / プロフィール

 山下 浩

Author: 山下 浩
 
・グラフィックデザイナー
・スチールカメラマン
・札幌市在住 1967年生

業務サイト:山下デザインスタジオ

Categories / カテゴリ
自己紹介 (1)
業務関連 (26)
日常私事 (60)
時事社会 (100)
政治選挙 (54)
経済産業 (29)
国際時事 (18)
報道誹議 (27)
末梢雑記 (21)
野球審判 (14)
New Entries / 最新記事
  • 新型コロナの死亡率を出してみた (2020/04/02)
  • 上っ面だけの「オリ・パラ平等」 (2020/04/01)
  • 手抜きメディアの「互いのふんどし」 (2020/03/29)
  • やはり呪われていた「日本の五輪」 (2020/03/25)
  • 英語が「オーバーシュート」してる件 (2020/03/24)
  • 「マスク姿で行楽」の衆愚 (2020/03/23)
  • やはり報われない「プロ免許」 (2020/03/18)
  • きな臭い 孫正義の「善行」 (2020/03/15)
  • 甘ったれるなフリーランス (2020/03/13)
  • 参院選総括 (2016/07/11)
  • あばよ、横路。 (2016/05/29)
  • 沖縄県知事という「身の程」 (2016/05/24)
  • 悪しき判例を作った「ファウルボール訴訟」 (2016/05/21)
  • うれし!楽し!大災害! (2016/04/20)
  • 「なんでも自動化」で衰退する運転技術 (2016/04/14)
  • まかり通った「子供は害悪」思想 (2016/04/12)
  • 職業政治家の資質・体質・本質 (2016/04/02)
  • 左翼メディアの「非国民」ぶり (2016/03/29)
  • 見栄と意地だけの「北海道新幹線」 (2016/03/26)
  • 傲慢すぎた「弱者ビジネス」 (2016/03/24)
  • 日本の「任侠道」はどこへ… (2016/03/21)
  • またまた朝日の「本領発揮」 (2016/03/17)
  • 世論に“征服”された「最優秀作品」 (2016/03/16)
  • 前途多難な「民進党」 (2016/03/15)
  • 道新記事の成果は…? (2016/03/14)
  • これぞ「本場」のヘイトスピーチ (2016/03/10)
  • 不都合は「国」「社会」「他人」のせい (2016/03/08)
  • “風見鶏”ムネオ親子の「損得勘定」 (2016/02/26)
  • 「氷筍」と「弁護士過剰」 (2015/02/06)
  • あぶり出された「日本の暗部」 (2015/02/03)
Search / ブログ内検索


Archives / 月別アーカイブ
  • 2020/04 (2)
  • 2020/03 (7)
  • 2016/07 (1)
  • 2016/05 (3)
  • 2016/04 (4)
  • 2016/03 (10)
  • 2016/02 (1)
  • 2015/02 (3)
  • 2015/01 (13)
  • 2014/12 (13)
  • 2014/11 (8)
  • 2014/10 (9)
  • 2014/09 (10)
  • 2014/08 (18)
  • 2014/07 (15)
  • 2014/06 (15)
  • 2014/05 (15)
  • 2014/04 (8)
  • 2014/03 (7)
  • 2014/02 (6)
  • 2014/01 (7)
  • 2013/12 (10)
  • 2013/11 (11)
  • 2013/10 (2)
  • 2013/09 (3)
  • 2013/08 (5)
  • 2013/07 (4)
  • 2013/06 (4)
  • 2013/05 (5)
  • 2013/04 (4)
  • 2013/03 (10)
  • 2013/02 (10)
  • 2013/01 (12)
  • 2012/12 (16)
  • 2012/11 (23)
  • 2012/10 (4)
  • 2012/09 (6)
  • 2012/08 (3)
  • 2012/06 (6)
  • 2012/05 (8)
  • 2012/04 (9)
  • 2012/03 (1)
  • 2012/02 (5)
  • 2012/01 (2)
  • 2011/12 (2)
  • 2011/11 (3)
  • 2011/10 (4)
  • 2011/09 (1)
  • 2011/08 (2)
Message / メッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

QR Code / QRコード
QR
RSS Links / RSSリンク
  • 最近記事のRSS
  • 最新コメントのRSS
  • 最新トラックバックのRSS
Designed by 気まぐれテンプレート 素材・・・気まぐれ素材屋