写真(C) 共同通信社東京・渋谷区で本日、飲食店のアルバイト従業員たちが「時給を1,500円に!」と経営者側に要求するデモを行ったという。(最後部に報道記事)
まず断っておくが、私は「職業に貴賎なし」という考え方を支持しており、反社会的なものを除く全職業は社会に必要とされており、尊いものだと考えている。
とはいえ、このデモに共感できるかというと、否である。
確かに、どの都道府県も最低賃金額は十分とは言えず、場合によっては生活保護を受給した方が豊かに暮らせるというのは、いびつな社会制度とも言える。
だが、時給額に納得して応募したはずの彼らが、少なくても法律(最低賃金)は守っている経営者に対し、正規の交渉ではない「デモ」という手段で不平不満を訴えるのはお門違いで、職業の貴賎とは別問題の話である。
もし本気で怒っているのなら、怒りの矛先は国の雇用政策に向けるべきだが、これまでの日本ではデモによって何かが変わったということはなく、当人たちも「ガス抜き」「ストレス解消」ということは自覚しているのだろう。
ところで、このようなニュースで必ず出てくるのが
「格差社会」という言葉だが、資本主義国において格差があるということは、むしろ
「正常な社会」の証左だ。ということは、格差解消を叫ぶ彼らは共産思想の持ち主なのだろうか。
ファストフード店をはじめとする飲食接客業の多くは、未経験者でも短期間で一定の戦力になれる。また、時給のアルバイトである以上、彼らもそれを「一生の仕事」ではなく、「腰掛け」あるいは「繋ぎ」と考えているケースがほとんどだろう。つまり、経営側がアルバイターを「使い捨て」として雇うのは必然であり、格差が生まれるのもまた必然である。
では、格差社会に不満を抱くアルバイターたちは共産主義の実現を希望しているかというと、それも違うようだ。
「時給が安いから上げろ」というのは
「もっと金が欲しい」という己の欲望であり、突き詰めると
「勝ち組」になれない憤りを経営者にぶつけているだけのように見える。
世界的に見ると日本ほど格差の少ない資本主義国はなく、しかも機会の平等は保証されている。にも関わらず、知識や技術といった能力を身につける努力もせず、就くのも辞めるのも平易な「アルバイト」に自らの意志で応募し、挙げ句に「格差」という言葉に逃げているのであれば
「甘ったれるな」としか言えない。
少なくとも“納得ずく”の時給はきちんと支給されているのだろうし、様々な事情により仕事をしたくてもできない人間も多数いるのだ。経営者側に与するつもりは毛頭ないが、労働者側も身勝手すぎる。不満を吐き出す時間があるのなら、マルクスの「資本論」でも読んでみたらどうだろうか。
少なくても、日本で「労働革命」が起きる可能性は限りなくゼロなのだから…。
「時給1,500円に」と訴えデモ ファストフード店員
「ファストフード店で働く人たちに公正な賃金を」と訴え、従業員の賃金引き上げを求めるデモが15日、東京都渋谷区であり、参加者は「時給を1,500円にして」などと声を張り上げた。
全米サービス業従業員組合(SEIU)が世界35カ国で一斉デモを呼び掛ける「世界同時アクション」の一環。SEIUは2013年に全米100都市で時給15ドルへの賃上げストライキを実施し、オバマ政権が最低賃金引き上げに取り組むなど反響を呼んだ。
日本の実行委員会によると、ファストフード店のアルバイト店員の賃金は、最低賃金ぎりぎりとなる600~700円台の時給を設定している店も多いという。
(共同通信 2014.05.15)