「また日本はこうなる」と空想中?日本はしばしば、内外で「平和ボケ国家」と揶揄される。その根本は「性善説」で、「この世に真の悪人はおらず、腹を割って話せば理解し合える」と、人の心の善意を信じている。あるいは「お人好し」とも言われる所以だ。
だが、近隣諸国(中国・韓国・北朝鮮・ロシア)の全てが国軍を持ち、韓国以外は核兵器さえ保持している。尖閣諸島周辺や南沙諸島など他国の排他的経済水域を侵犯しては船舶ごと体当たりしてくる中国や、ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮はもちろん、韓国も竹島を実効支配するなど、明らかに日本を仮想敵国としているような振る舞いだ。
とかく好戦的な「特定アジア」各国は我が国にとって十分な脅威であり、もはや丸腰のまま平和にボケてはいられない状況だということを自覚すべきである。
その上で、集団的自衛権の解釈変更問題である。「護憲派」と呼ばれる(メディアを含めた)左翼さんたちの「集団的自衛権を認めることは“戦前回帰”であり、また戦争国家へ舞い戻ることになる…という短絡的な思考回路は相変わらず。
彼らは感情論と理想論でしか物事を考えられないためディベートになれば論破されるのが常なのだが、めげずに昨日の憲法記念日には全国で「反戦集会」を開き、「戦地」「戦場」という言葉を乱発して扇動していた。
元来、「集団的」は憲法が認める「自衛権」の範囲であり、これまでの政府解釈がおかしかっただけのこと。というより、そもそも「在日米軍」の存在が事実上の集団的自衛権行使とも言えるはずだ。
それとも彼らは、集団的自衛権の容認解釈が可能になった途端に日本政府が
「さぁ、戦争おっぱじめっぞー!」と言うと思ってるのだろうか。
あるいは、
“神風特攻隊”や“学徒出陣”が再現されると、本気で思っているのだろうか。
彼らは「日本を戦争国にするな」を合い言葉にしているが、これは「他国に攻められても無抵抗に徹し、日米安保により日本人の楯になった米兵に危険が及んでも、自衛隊員は援護(武力行使)することなく米兵を見殺しにしてしまえ。戦争するくらいなら征服されよう」という思想だ。これを私は「9条脳」と名付けている。
そもそも論として、9条があるから平和なのではなく、9条のせいで危険に晒されているということを全く理解していないのだから困ったものだ。
集団的自衛権は個別的自衛権の「やむなき延長線上」にあり、「侵略戦争」への扉では決してない。また、第9条が平和国家の確たる唯一の根拠ではないことは各方面で言い尽くされてきているわけで、完全自力の防衛網の構築なくては他国の侵略を許すことになり、それこそ戦争になりかねない。本質的には、日米安保すら無条件かつ自動的に発動されるわけではないのだ。
過日、「憲法9条にノーベル平和賞を」と訴え、ノミネートされたというニュースがあった。大手メディアはこれを「普通の主婦の思いつき」として賛美しているが、実態は過激な「プロ市民」だという事実は、知りながら「報道しない自由」だ。
集団的自衛権に関する報道を受け、最近は「9条を守れ」などとするデモが活発化している。だが、メディアはあえて「市民(団体)」と表現しているが、活動の中心になっているのは中核派をはじめとする極左勢力である。つまり「平和のためなら殺人も辞さず」というトンデモ思想が跋扈しているのが今の日本なのだ。
「内憂外患」という言葉は、まさに日本のためにあると思えてならない。