Photo(C) The Wall Street Journal韓国の旅客船沈没事故のニュースが連日、メディアを賑わせている。
次から次へと出てくる“嘘”と“ニセモノ”には呆れるしかなく、あのローマ法王に
「韓国民がこの事件をきっかけに倫理的・霊的に生まれ変わることを望む」とまで言わしめたほどだ。
また、テレビ画面に映る家族らの阿鼻叫喚ぶりがすさまじい…と思っていたら、「なぜ日本人は泣かないのか」と韓国人が不思議に思っている旨の報道記事が日本のメディアから出た。(最後部に転載)
この事故と単純に比較できるものでもないが、東日本大震災当時、津波によって家族や家を失っても取り乱すことなく、極めて理性的な民族であることを証明した日本人。奇声をあげて泣いても事態は好転しないという「無理」と「道理」の区別ができているからだろう。だが、どうやら韓国人には理解できないようだ。
2011年に北朝鮮の金正日総書記が死去した際、人民(国民)たちが芝居がかっているほど号泣していた光景を思い出すと、これは朝鮮民族全体の感情表現なのだろう。
民族特有の精神疾患も関係しているのかも知れない。
また、他にもこのような悲しみの表現もあるようだ。

心中察するに余りあるとはいえ、さすがに日本人は海に向かって拡声器で叫ぶことはないだろう。(しかも、マイクの持ち方はカラオ…いや何でもない

)
元来、韓国には
恨(ハン)と
哭(コク)の文化が根付いているという。
執拗なほどの慰安婦問題への謝罪と賠償要求でも分かるように
「過去の恨みは一生忘れない」という気質で、白昼堂々と
他国(日本)の国旗を燃やせるのもその表れだ。
「水に流す」「赦(ゆる)す」という言葉を持つ日本人とは相容れないはずである。

そして、悲しい時の「これでもか」というほどの
慟哭ぶりは見ての通りだ。
この事故(もはや事件?)を見て、同じ東洋人かつ隣国にありながら、これほどまでに民族性が違うものかと思った向きは少なくないだろう。どちらが善悪ということではないが、個人的には
「日本人で良かった」と思える今日この頃…。
沈没船事故で被災者家族号泣 震災で泣かぬ日本人に韓国人驚く
「なんで助けてくれないの」と泣き崩れる母親に、「何千人でも投入して今すぐ助けろ」と怒鳴る父親…高校の修学旅行生ら数百人規模の犠牲者を出した韓国のセウォル号沈没事故は、日本にも大きな衝撃を与えた。とりわけ日本人にとって印象的だったのは、被災者の家族らがこのように、あたりもはばからず、激しく号泣する姿だった。
家族らの激情は、政府への怒りに転化し、慰問した朴槿恵大統領に対して「嘘つくなこの野郎!」「こんなところに来ないで早く対策を立てろ!」と罵声を浴びせるほどだった。
「自分にはここまでできない」──おそらく多くの日本人がこう思ったはずだ。3年前の東日本大震災では、被災者や遺族らが心痛を押し隠す姿、不平を洩らすことなく耐え忍ぶ姿が目に付いた。
人災としかいいようがない今回の沈没事故と、地震・津波という自然災害とではもちろん比較はできないが、日本では、こういった事態に際して感情を抑え、「気丈に振る舞う」ことが美徳とされてきた。震災当時、韓国人らは逆に、「なぜ日本人は泣かないのか」と驚いたという。
この違いはどこから生まれるのか。これは決して、どちらが良い・悪いという話ではない。両国の間の文化的ギャップが、象徴的に現われているのである。
(NEWSポストセブン 2014.04.28)