
公立高校の女性教諭が、長男の高校入学式に出席するため勤務校の入学式を欠席したことが波紋を呼んでいるらしい。(最下部に報道記事)
「それでも聖職者か!」「いや、教師である前に人の親だ!」など、世間は「教師は聖職者か労働者か」で賛否両論のようだが、教諭が学校側に事情を説明して休暇が受理されていた以上、形式的には何ら問題はなく、言わば公職者としての職業モラルを問われてるわけだが…。
個人的には、「もう高校生」にもなる息子の入学式に、仕事を休んでまで参加したいという「母親の心理」の方が心配になる。「事故に巻き込まれて重体」というならまだしも、必ずしも親の参加が必須ではない儀式だということをいちばんよく分かっている立場であり、同じ母親でも専業主婦とは事情が違う。
昔と違い、現在は発達した電子機器により写真やビデオなどで「我が子の成長」を手軽に記録できる時代。今回の教諭も「愛する息子が社会人になるまでの記録に穴をあけられない」という心理でも働いたのだろうか…。
振り返れば34年前の春、私が中学入学式に出席するため家を出ると、間もなく「一緒に行こう」と母が追いかけてきた。小学校を卒業したばかりの小便小僧だったくせに「母親と一緒に歩く自分」が恥ずかしく、「ついてくんなよ、バカ!」と逃げた。結局、その日は家に帰るまで母に近寄らなかった。
もちろん、3年後の高校入学式は母の出席を断固拒否(本人も行く気なかったようだが…)。反抗期だったのかどうかは自分では分からないが、今でいう「マザコン」という心理が大嫌いだったのは確かで、育ててもらってる立場のくせに母を拒否し続けていたものだ。
時は流れて約25年前、東京の某プリンスホテルに勤務していた頃の話。2~3月には「受験生プラン」の宿泊客(高校生)が多数いたのだが、そのほとんどが男女問わず「母親と一緒」だった。しかも、合格すれば否応なく東京での独り暮らしが待っているのに、特に男子生徒の箸の上げ下ろしにも母親の手を煩わせている光景を見る度にめまいを覚えた。
多くの母親にとって、娘に比べて異性である息子の方がかわいいという心理が強いという。幼少時の男子は女子に比べて精神年齢が低く、手がかかるが故に愛情も深くなるようで、それが高じて子離れできなくなり、健全な愛情は「溺愛」と「過保護」に変わり、流行の「モンスター」へと変質していくのではないか。
徴兵制度がなく、学校での体罰も厳禁されている環境下で、さらに母親の過大な庇護を受けて育つ現代の日本男児。最初の成長の証は、精神的な親離れである。「男らしさ」という言葉も死語になりつつあるが、少なくとも女子に「草食」「マザコン」などと言われないように頑張ろうよ(笑)
余談だが…昨年11月、同じ市内に住む母(68)に会った。実に16年ぶりの再会だったが、それ以降はまた交流が絶賛断裂中。元来、用がない限りコンタクトしない親子関係ではあったのだが、親不孝な息子で申し訳ない…

生徒より我が子優先? 勤務先の入学式欠席の教諭、計4人 賛否割れ
埼玉県立高校の女性教諭が長男の入学式のため勤務先の入学式を欠席した対応が波紋を広げている。関根郁夫県教育長は14日の定例記者会見で「生徒や保護者に心配をかけた」と学校側の対応に苦言を呈すると同時に「色々な考え方がある」と話し、「欠席」に至った経緯に一定の理解も示した。県教育委員会には14日午前までに73件の意見が寄せられたが、賛否は割れている。(中村昌史)
「生徒や保護者に申し訳ない。心配りがあってよかった」。関根教育長はこう述べた上で、11日の県立高校長会で「保護者、生徒の声を受け高校生活を安心してスタートできるよう指示をした」と明らかにした。県教委によると、73件の意見のうち、53%が女性教諭に理解を示す意見。34%が校長・教育長への批判、12%が教諭への批判だった。
女性教諭は勤務先の入学式前、長男の入学式に出席したい意向を説明し、校長らに休暇を認められた。式当日は別の教諭らが「大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびする」などとする教諭の文章を配った。
県教委が確認したところ、他にも同じ理由で勤務先を欠席した高校教諭が3人いたことを確認した。
関根教育長は入学式について「教員は基本的に出席する」と強調し、「私のときは子供の入学式には行かなかった」と、自らの経験を踏まえ語った。一方で「時代も少し変わってくる。われわれの時代感覚と違う。どちらが良い、悪いというのではない。難しい問題」とも話した。
今後の対応については「校長判断のもと学校は運営されている」とし、一律の指針などを示すことには否定的な考えを示し、「何が一番、大事なのか。その点を考えながら新しい運営をしてほしい」と述べた。
(産経新聞 2014.04.15)