永遠も半ばを過ぎた

フリーデザイナー兼カメラマンの苦言・放言・一家言

What is 国際人?

2014/02/27(木)
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東京都の舛添知事によると、2020年の東京五輪に大挙して来日するであろう観光客と会話ができるよう、全都民が英語を話せるようになるのが望ましいのだそうだ。(最後部に報道記事)

この年代に多い「欧米(英語)コンプレックス」丸出しの考え方で、英語さえ話せれば全人類と意思疎通できるとでも思っているのだろうか。

日本では社内公用語を英語にする企業が出てきたり、小学校では英語授業が必修化されるなど、「このグローバリズムの時代、英語ができなければ世界の潮流から取り残され、国際人として恥ずかしい」などと不安を煽る傾向にある。

では、いったい「国際人」とは何なのか…。英語がペラペラなら国際人なのか、ならば英語を母国語にしている人たちはみな国際人なのか。ちなみに、日本人が言う「国際人」という概念の英単語はない。英語教育の推進のために作られたこの言葉ほど胡散臭いものはない。

かの福澤諭吉は「学問のすゝめ」で、こんなことを言っている。

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或いは書生が「日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ,英語を使い英文を用いる」なぞと,取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。按ずるにこの書生は日本に生れて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉は、その国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し,毫も不自由なき筈のものなり。何はさておき、今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり。

このように、すでに明治時代に言い尽くされている。必要のない人間が無理に英語を覚えるくらいなら、もっと日本語や日本文化を勉強すべきである。

分かりやすく例えてみよう。

イギリスに住むマイケルが日本の文化を勉強するため来日した。まもなく、日本の歴史や文化に精通している太郎と知り合った。だが、太郎は英語が全く話せないため、友人で帰国子女の花子に通訳を頼んだ。つまり、太郎はマイケルに対し、花子の英語を通じて日本文化を詳しく教えてあげたのだ。マイケルはとても喜んでいたという。

「日本」を知りたいマイケルにとって、太郎と花子のどちらがいわゆる「国際人」なのか、言わずもがなである。

ところが、文科省が率先して的外れな英語教育を推し進めている影響からか、現在の英会話ビジネスは漫然とした不安を利用している。これは資格や自己啓発、あるいはダイエット産業も同様で、人々の不安を煽って刹那の安心を売り、保証できない未来を約束するという「宗教」の構図そっくりだ。

大切なのは言語よりも「コミュニケーション能力」と「日本人としてのアイデンティティ」なのだと理解される日は…来ないんだろうな


舛添知事「全都民が英語しゃべれ」

2020年東京五輪に向け、ロシア・ソチ冬季五輪を視察した東京都の舛添要一知事が25日帰国し、成田空港で報道陣に「治安対策とか演出の仕方とかいろいろ見えてきた。これからの参考になる」と感想を語った。

一方で「(現地では)ロシア語以外、通じなかった」と課題を指摘。「言葉のバリアーをどうするか。片言でいいから全東京都民が英語をしゃべれるぐらいになればと思う」と述べた。知事は21日に日本を出発し、現地では警備態勢や交通、輸送の状況を確認。国際オリンピック委員会のバッハ会長と初めて会談した。

 (デイリースポーツ 2014.02.26)


カテゴリ : 時事社会

五輪とメディアと愛国心

2014/02/24(月)
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写真(C) 時事通信社

史上まれに見る厳戒態勢が奏効したのか、心配されていたテロが発生することもなく無事にソチ冬季オリンピックが閉幕した。(まだパラリンピックが控えているが、ひとまずということで…)

夏季・冬季に限らず、オリンピック時における日本メディアの「メダルだ!色だ!個数だ!」というバカ騒ぎはいつもの光景だったが、女子フィギュア・浅田真央選手の劇的な「ドラマ」を目の当たりにして、「メダルこそが価値の全て」と盲目的に信じる勲章至上主義が少しでも改まってくれたら…と願いたいものだ。

「オリンピックには魔物がいる」という言葉があるが、魔物の正体は「メディアや国民の過剰な期待」による重圧であり、それをはねのけられなかっただけのこと。期待されたメダルを逃した選手についてメディアはこの言葉を多用するが、「魔物はアンタたちだよ」といつも思う。

オリンピック(以下、五輪)に出場するほどのアスリートがその競技を始めた時期は、大抵が幼少の頃だろう。その際、遠い目標として五輪出場を夢見るのは不思議ではないが、その前提が「国民のため」と考える子供などは皆無のはずだ。ところが、いざ五輪出場選手になり、しかもメダル圏内の実力があればあるほどメディアによる「魔物」に取り憑かれることになる。

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1992年アルベールビル五輪の際、女子フィギュアの伊藤みどり選手に「銀でごめんなさい」と言わせてしまったのがいい例だが、本来は自分自身のために戦っているはずのアスリートに、銀メダルを取ってなお国民に謝罪させてしまったのである。そもそも選手に「国民の皆さんのため」と言わしめる時点でおかしい話なのだが、そこはメディアの商売根性である。

普段は「日の丸」と「君が代」を忌み嫌い、政府による愛国心教育に対しても「右傾化」というトンチンカンな言葉で反対している左翼メディアが、なぜか五輪の時だけは「ニッポン!」「日の丸!」を連呼して愛国心を煽り、しかも日章旗を背負うメダル獲得選手の写真や映像を嬉々として掲載・放映するという無節操さも、全ては販売部数や視聴率のためなのだろう。

五輪は、世界中からトップアスリートが集まり、スポーツを通じて世界平和を訴え、人種・言語・文化の壁を越えた競演を見ることのできる希有なイベントだ。「出るからには勝つ」という目的意識は当然なのだろうが、どうにも気張りすぎである。国別対抗戦ではあるが、あくまでも「平和の象徴」としての大会であり、戦争じゃあるまいし「国家の威信をかけて戦う」ものではない。

日本では「金メダル=世界一」という価値観が確立しているようだが、五輪はその名の通り【Olympic Games】であり、決して【Championship】ではない。だから世界選手権には出たいが、オリンピックに興味ないというアスリートも多数いるという。その上で五輪の金メダルが果たして「世界一」なのかどうか、はなはだ疑問だ。

ともあれ、日本メディアは五輪という「平和の祭典」を「お祭騒ぎ」と履き違えることなく、あるいは日本人選手とキム・ヨナだけを追うのではなく世界のレベルを報じ、そして人種や国籍を越えて健闘を賛えることができる懐の深さと視野の広さを持ってほしいものだ。

カテゴリ : 時事社会

「民主党大学」って…(呆)

2014/02/19(水)
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2009年に歴史的な政権交代を果たすも間髪入れずに馬脚を露わし、拙劣かつ売国的な国家運営で日本を壊した民主党。それが来春の統一地方選に向け、「民主党大学」という政治塾を創設するのだという。(最下部に報道記事)

そもそも、学校教育法で定められた教育機関以外の組織が「大学」を名乗ることはできないのだが、民主党はこんな基本的な遵法精神(または知識)すらないようで、相変わらず学芸会のような政党だ。

それに、統一地方選の約1年前という時期に立候補予定者を募集すること自体、ずいぶん選挙(有権者)をナメているようだ。何の努力もせず、ブームに乗って「民主党」という看板だけで当選できた連中のアイデアなのだろうか…。

日本の若者が政治を志すとすれば、それは大きな意味で「日本を良い国にしたい」という大志がベースのはずである。ミスリードばかりのテレビと新聞しか情報源のない高齢者ならともかく、若者にはネットを通じて民主党の正体はバレているのだ。まともな日本人が応募するとはとても思えない。

余談だが、このニュースにちなんだ「民主党大学」の講師と講義テーマ(ネタ)が某BBSに載っていたので、そのまま転載する。各講師(議員)の特徴を非常に的確に捉えた「傑作人事」である。(笑)

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1.海江田万里
 「(中韓)国民のくらしを守るには」
 「安愚楽牧場と私」
 「国会で泣くということ」
2.菅直人
 「反原発活動と私」
 「如何にして原発災害を拡大するか」
 「市民の党と民主党」
3.野田佳彦
 「消費増税の意義」
 「自民批判と辻立ち」
 「外国人献金をコッソリもらう方法」
4.岡田克也
 「中国の期待に如何に応えるか」
 「韓国の期待に如何に応えるか」
5.横路孝弘
 「財政危機をもたらす方法~北海道を事例に」
 「中国工作員を議長公邸に呼ぶには」
6.江田五月
 「シンガンスと私」
 「議長として前代未聞の国会運営をやったわけ」
7.前原誠司
 「領収書の作成ポイント」
 「言うだけ番長と言われないために」
8.枝野幸男・安住淳
 「有権者を騙すテクニック」
 「ガソリンプールへの貯蔵方法」
9.辻元清美
 「北朝鮮実力者との関係を作る術」
 「秘書給与を節約する方法」
10.原口一博
 「グーグルアース活用法」
 「闇の組織との闘いの歴史」
11.長妻昭・山井和則
 「如何に自民党議員を不快にさせるか」
12.有田芳生・徳永エリ
 「如何にネット民を不快にさせるか」
 「息を吐くように嘘をつく方法」
13.民主党を支援するマスコミ関係者(外部講師)
14.韓国民団・自治労・日教組・部解同(外部講師)
15.まとめ(反自民・反日の適性を問う論文提出)



「民主党大学」創設へ 人材集まるのか?

民主党は来春の統一地方選に擁立する新人候補者の発掘に向け、政治スクール「民主党大学」を党本部に創設することを決めた。東京から地方への「Uターン出馬」の支援に党本部が積極的に関与することで、地方組織との連携を強化する狙いがある。ただ、党の信頼回復は道半ば。果たして有望な人材は集まるか-。

民主党大学の創設は先の党大会で了承されており、平成26年度の活動方針に「次期統一地方選を見据え、青年候補の活動支援を展開し、故郷での里帰り立候補を促すために創設する」と明記している。党青年委員会が中心となって企画。海江田万里代表ら執行部との交流や、地方議員の講義などを検討している。

これまで都連が「民主党大学東京」を開校し、活動してきた。だが、学長の鈴木寛前参院議員が昨年7月の参院選で落選し、離党したことなどから“休校”中だという。そのため、執行部は民主党大学東京を発展的に解消し、全国版を創設することにした。

海江田氏は来春の統一地方選に向け、地方組織の強化を党再建の柱に位置づけており、党内に「民主党政権が失敗した原因の一つは地方組織が弱かったことだ。厚みを増していかなければ、政権を奪取できない」(津村啓介青年委員長)との危機感は強い。

ただ、党勢は低迷したままとあって、何人の“候補者の卵”が集まるかは公募してみないと分からないのが実態。かけ声倒れで終わる可能性は捨てきれない。

 (産経新聞 2014.02.18)


カテゴリ : 政治選挙

「反原発論」の欺瞞と病理

2014/02/11(火)
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失考と過信で晩節を汚した二人の元首相 (画像は他サイトより拝借)


※文中敬称略


去る9日、前職の辞職に伴う出直し東京都知事選が投開票された。メディアによる事前の情勢分析どおり、元厚労相で政権与党(自公)が支援した舛添要一が2位の宇都宮健児にダブルスコアという大差をつけ完勝した。細川護煕は僅差で3位に終わった。

言うまでもなく、この選挙の大きな話題は、金銭スキャンダルの果てに首相を辞任し、とうの昔に隠居したはずの細川が、「自民党をぶっ壊す」と言って日本をぶっ壊した小泉純一郎とタッグを組み、「脱原発」のみを掲げて立候補したことに尽きる。

だが細川は、唯一の政策すらまとめられず出馬会見が告示前日になったり、いくつか企画された公開討論会からも逃げてばかりいた。政策論争に自信がなく、佐川急便からの1億円献金問題を再追及されるのを恐れたという見方が専らだが、さらに街頭演説ではメモを読みながら…という姿を見て、旗印である原発論すら何も勉強していない付け焼き刃の立候補であることは当初から明らかだった。

特に小泉が繰り返していた「(原発を)即時ゼロにして全て自然エネルギーに切り替える」という、現時点ではあり得ない主張をしてみせたり、「即時ゼロさえ決めれば、具体論は誰か知恵者が考えてくれる」という無責任な他力本願ぶりも健在。主張に具体性も説得力もないという意味で、この二人は見事に低レベルな「似たもの同士」だった。

そもそも、この二人の主張は極端すぎた。今はまだ必要性を認めながら、段階的に原発を減らしていく【脱・原発】を支持する国民は非常に多い。だが、彼らの主張は「即時ゼロ」という明らかな【反・原発】であり、両者は似て非なるものだ。

有権者に極端な二者択一を迫る「小泉戦法」も相変わらずだったが、過去の栄光を今でも引きずり、いつかの郵政選挙で見られた「小泉旋風」が再来し、国民は思いのままになると本気で考えていたようだ。しかし、結果は案の定。政策がカラッポなのに殿様選挙だった割には、よく100万弱もの票を得たものだ。

また、仮にも過去に国家の舵取りを任された元首相コンビが、自らの影響力を利用して日本の経済活動に大きな転換を迫ったのである。ならばこのような不勉強・不見識・非常識は到底認められないはずなのだが、何の疑いもなく当選圏内の有力候補として扱ったマスメディアの思考停止ぶりにも驚いた。

改めて、「反原発」というイデオロギーの欺瞞と病理を検証してみよう。

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我々は東日本大震災といえば「フクシマ」(原発事故)を第一に連想してしまいがちだが、その原発事故を誘発したのは巨大地震と大津波であり、約2万人という死者・行方不明者を出したのもこれらの自然災害である。

つまり、圧倒的な犠牲者を出したのは岩手県と宮城県の沿岸地域なのに、メディアや一部国民の関心と憤りは直接的な被害者が出たわけでもない福島第一原発と東京電力に集中した。ここに最大の「まやかし」がある。

反原発論者は再び原発事故が起こった時の話をするが、だとすれば、それはまず巨大地震や大津波に襲われることが大前提だ。特に三陸沿岸では大津波の前例があったにも関わらず、防災対策が結果的に不十分だった政府や自治体は無罪放免となった。

そして万単位の犠牲者を出した自然災害には一切触れず、あたかも「殺人兵器である原発」さえ無くなれば日本は万事安心だという、感情論だけに依拠した反原発論者が跋扈した。彼らは一部から「放射能」ならぬ「放射脳」と揶揄されたが、それも当然だろう。

また、反原発論者は口を揃えて「(福島第一原発)事故は人災」というが、主原因は全電源喪失であり、多くは政府の判断ミスによってもたらされたことが明らかになっている。つまり、人災ならば十分な対策を施せば事故は防げるわけで、「稼働すなわち危険、命が危ない」という短絡的な思考は論理的に破綻していることに彼らは気付いていない。原子力が人間の手に負えないものであれば、この事故は人災ではない。

都知事選中、小泉は「事故以降は原発なしでも乗り切れたのだから、今後も電力には困らない」ことを論拠のひとつにしていたが、それは火力発電をフル稼働させ、国民や企業に節電を強く求めて使用電力を削減したことによって、ようやく実現できただけのこと。そのためにどれだけの経済が失われてきたことか。

2010年現在の自然エネルギーは、水力8%、地熱・バイオマスで2%である。風力は論外と考えると、太陽光発電で残り90%を賄えるはずもなく、現時点では火力発電に頼るしかないのが現状だ。自然エネルギーや再生可能エネルギーでも日本は今後も発展するという「小泉論」はあまりにも夢想的であり、もはやファンタジーの領域だ。

とはいえ、CO2を大量排出する火力発電所は老朽化も進み、莫大な輸入コストも含めて日本経済の命運を外国(輸入元)が握っていることも考えると、決して安定的な発電方法にはならない。きちんと対策をした上での原発再稼働が現時点ではベストの選択肢であり、センチメンタリズムに支配された非現実的な理想論が入る余地はないはずだ。

頻繁にニュースが流れる「殺人」には他人事として気にも留めない一方で、多くの他人の「命を守る」ことを大義に再稼働阻止を叫んでいるのが反原発論者たちだ。こんな偽善にでも賛同する者は少なくないため、そんな自分にも酔っているのだろう。同様に「地球を守る」ためにエコロジーを実践しながら原発の廃止(=火発フル稼働)を支持する矛盾思想に至っては笑止千万である。

ところで、原発事故当時を振り返ってみると、放射能汚染に対する恐怖の中で「ベクレル」や「シーベルト」といった聞き慣れない言葉が飛び交い、その基準値はコロコロ変わり、国民の動揺に便乗するように怪しい学者たちがさらに恐怖を煽るような言辞を吐いていた。

そして反原発論者たちに共通していたのは、事故の際、恐怖のあまりすぐさま「脱(反)原発」を口にしてしまったことだ。これでマスコミ世論に火がつき、もはや引き返せないところまで来てしまった。そのため、反原発論の矛盾や欺瞞が指摘され始めると辻褄合わせをしなければならなくなり、さらなる論理破綻を引き起こすというジレンマに陥っていた。

さらに、反原発派による扇動で必ず引き合いに出されるのがチェルノブイリ事故だが、市民の被曝は数千ミリシーベルトもの放射線によるものであり、福島とは桁が2つも違う。それを「チェルノブイリの再現」だという論陣はあまりに稚拙で呆れるほかない。使用済み核燃料の最終処分の話にしても、「全原発の廃止」が現実になったとして、それらの燃料も全てゴミになるということを誰も言わない。なぜなら「どうしていいのか分からないから」である。

福島第一原発事故をどのように解釈するするのも個々の自由だが、小泉のように非論理的でヒステリックに反原発を叫ぶ「放射脳」に共感する国民は確実に減少しているのは都知事選の結果を見ても明らか。これをもって民意が「原発推進」では決してないのは当然だが、都民が一番に望む景気回復のためには、安定した電力供給が不可欠なのは当然だ。

何にせよ、日本では原発について地に足のついた議論が未だにできていない。原発論が「科学」ではなく「イデオロギー」(政治的主張)になってしまっているのも一因だろう。ちょうど1ヶ月後には東日本大震災から丸3年になるが、特にメディア各社は、そろそろ大人になった報道姿勢を見せてほしいものだ。


当ブログ関連記事:
違和感だらけの「脱原発」デモ (2011.09.20)
震災後1年で分かった「人間の本性」 (2011.03.11)
「原発」は本当に争点なのか (2012.12.04)

カテゴリ : 政治選挙

ゴーストライター騒動

2014/02/07(金)


18年間、クラシック作曲家・佐村河内守氏のゴーストライター(以下、ゴースト)を務めていた新垣隆氏が真実を暴露し、何やら大騒ぎになっている。(最下部に報道記事)

「現代のベートーベン」という異名を持ち、全聾の天才作曲家としてメディアに密着取材をさせ、「広島市民賞」を受賞し、ソチ冬季五輪では氏の楽曲が日本のフィギュアスケート選手の演技曲にも選ばれるなど順風満帆だったところへの「爆弾投下」だったようだ。

佐村河内氏のかつてのインタビュー映像を見た限り、とても全聾とは思えないほど流暢に言葉を発していたが、「実は(耳は)聞こえている」という話もあながち嘘ではないのだろう。「被爆2世で全聾の作曲家」にしておいた方がセンセーショナルであり、NHKなどが氏を題材とした特番まで放映したのも奏効し、CDのセールスも稼げたのだろう。

ただ、報道や「街の声」を聞く限り、作品そのものより「全聾である」ことに価値を見出し、報道され、評価されていたようだ。全く同じ楽曲を、名もなき一般人(例えばワタシ)が発表したら、佐村河内氏のように18万枚も売れることなどあり得ず、むしろ親戚縁者に頼んで18枚も売れるかどうか…だろう。

いわゆる「STAP細胞」を作製する世界初の方法を発見した小保方晴子氏をめぐる報道姿勢に本人がブチ切れたように、メディアは報じるべき本質よりも当人の「過去」や「感動」を前面に押し出してばかりだから「レベルが低い」と言われ、今回の騒ぎも不必要に大きくなるのだ。

ただ、佐村河内氏に関する報道が全て事実だとすれば本人が非難されるのも当然として、ゴーストがそれを自らの意志で明かしてしまうのも「掟破り」であり、大きな「ルール違反」である。

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この件に限らず、音楽業界や出版業界では数多くのゴーストが暗躍(?)しているのはあまりにも常識的な話。かつて、タレントの松本伊代が自身のエッセイ本について内容を質問された際に「まだ読んでいない」と発言してしまった有名な例もあるが、特に「シンガーソングライター」と呼ばれる音楽アーティストがゴーストを使うケースも決して珍しくないようだ。

もちろん、厳密に言えば著作権法違反なのだが、業界では「公然の秘密」として問題視されないのもまた常識だという。当該アーティストのファンにとっては決して気持ちのいい話ではないだろうが、だからこそゴーストは「影武者」と自覚して仕事を引き受けた以上、そのことは墓場まで持って行かなければならない。

今回の騒動の要因は、実際の作曲者がゴーストだったことではなく、新垣氏が事実を「ぶっちゃけちゃった」ことと、佐村河内氏があまりに神格化されていたため…というところだろう。

つまり、一連の食品偽装表示事件も含めて「世の中、何でもかんでも信用しちゃダメよ」ということか。素直な日本人にとっては耳の痛い話で…。


ゴーストライターが謝罪、「私は共犯者」=作曲家・佐村河内さんの問題で

作曲家の佐村河内守さんが別人に曲作りを任せていた問題で、「ゴーストライターをやっていた」と告白した新垣隆さんが6日、東京都内のホテルで記者会見し、「佐村河内氏が世間を欺いて発表しているのを知りながら、指示されるまま作り続けた私は共犯者。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。

新垣さんは会見冒頭、用意したコメントを読み上げた。その中で、「佐村河内氏と出会った日から18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けた」と改めて告白。「当初は軽い気持ちで曲を書くことを引き受けたが、彼がどんどん世間に知られるにつれ、この関係が知られるのではないかと不安になった。これ以上、世間を欺きたくないという気持ちが大きくなった」と述べた。

また、フィギュアスケート男子日本代表の高橋大輔選手がソチ五輪で、佐村河内さんが作ったとされた曲を使用することを挙げ、「このままでは彼と私のうそを強化する材料になってしまう。高橋選手が何も知らず、偽りの曲で演技したと世界中から非難が殺到するかもしれない」との懸念を感じたといい、「高橋選手にはこの事実を知った上で堂々とオリンピックで戦ってほしいと思った」として、記者会見を開いた理由を説明した。

佐村河内さんに対しては、「『こんなことをやめよう』と何度か言ったが、聞き入れてくれなかった」といい、「あなたが書かないなら自殺すると言われた」とも明かした。また、「彼を通して私の作品が世の中に受け入れられ、うれしかった気持ちがあることは否めない」との思いを明らかにした。

新垣さんによると、作品を作るたびに佐村河内さんから報酬を渡されたといい、これまでゴーストライターとして得た金額は「700万円前後」に上るという。新垣さんは佐村河内さんの作品としてCDを購入した人々に対し、「申し訳ありません」と陳謝した。

 (時事通信 2014.02.06)


カテゴリ : 時事社会

公職選挙法は解体・再構築すべし

2014/02/01(土)
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画像:Ustreamより

選挙期間中の東京都知事選で、告示前の開催として東京青年会議所などの民間組織が企画した公開討論会が候補予定者の不参加により相次いで中止に追い込まれていた中、告示中の本日、インターネット事業者7社の合同主催で「ネット討論会」が開催された。(上写真)

私は一時期、道内首長選や国政選挙の道内選挙区で公開討論会の開催支援やコーディネーター(進行役)を務める立場だった(→ 参照)だけに、この意義は非常に興味深いものだった。

というのも、元来は公職選挙法(以下、公選法)第164条の3 第1項・第2項の規程により、告示(以下、「公示」も含む)後の選挙期間中は、候補者以外の第三者が候補者を集めて公開討論会を主催することが禁止されているため、どうしても告示前に開催する必要があった。

だが、告示前では大きな選挙になるほど投票日までの日数が多く、有権者の意識も盛り上がりに欠けるというデメリットがあった。そのため、苦肉の策として告示後に認められている「個人演説会」を候補者の連名にて開催し、事実上の公開討論会として行う「合同個人演説会」という裏技を使って選挙期間中に開催することもあった。

ところが、ネット選挙の解禁により今回、この「タブー」が打ち破られたのである。

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従来の公選法も「聴衆(一般有権者)が会場にいなければ、第三者が告示後に開催しても問題ない」という解釈があった。これに「ネット解禁」という改正が、このおかしな解釈に息を吹き込んだのだ。

つまり、実際の討論会場には報道関係者しかいないのだが、この模様をネット配信することで多くの有権者が自宅や職場で政策討論を聴くことができるようになった。これ自体を目的とした改正ではないものの、結果的に「日本の選挙」として考えると非常に画期的だったことは間違いない。

ただし、これは「法律の条文を組み合わせたら可能になった」というだけの結果論であり、では会場に聴衆がいたら問題があるという公選法の考え方は変わっていない。これまで幾度もの改正が繰り返されてきたものの、もう60年以上前(1950年)に初公布されたこの法律は、やはり根本的に時代と合わないのだ。

候補者にとっても有権者にとっても理不尽かつ無意味な規制は未だ多く、日本の選挙運動が国際的には奇異な目で見られている所以でもある。一度、現在の公選法を全て解体し、一から再構築してみればいい。政治や選挙への関心度も変わり、投票率も大きく上がるような気がするのだが…。

カテゴリ : 政治選挙
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