
昨年末に安倍首相が靖国神社を公式参拝したことは、年が明けた今でも火種としてくすぶり続けている。24日に召集される通常国会で野党は、靖国問題を政府追及の絶好の材料として捉えており、波紋は今後も広がり続ける模様だ。
首相の参拝翌日から、朝日新聞を筆頭とする左巻きのメディア各社は「中国様と韓国様が大変ご立腹である」と一斉に書き立てたが、いったいどこの国のマスコミなんだといつも閉口する。
特に朝日新聞は、いわゆるネトウヨに「朝(鮮)日(報)」と揶揄されているように「反日」を社是とするその存在感は確立されているが、今回も「安倍叩き」に大ハッスルだ。それもそのはず、そもそも靖国を「外交問題」に仕立て上げたのは他ならぬ朝日新聞なのだから、それも当然だろう。
それにしても、「靖国問題」という言葉があるが、何が「問題」なのだろうか…。
根底にあるのは、やはり「遺族感情」か。靖国神社には日本人戦死者のみならず、日本の植民地支配などの犠牲となった中国・韓国等アジア諸国の戦死者も祀られている。つまり、戦死した家族が靖国神社に合祀されることを「喜び」とする遺族と、「悲しみ」とする遺族の、それぞれの感情の断絶というものがあるのは確かなのだろう。
中韓の怒りは、靖国神社の存在そのもの、あるいはA級戦犯が合祀されていること自体に対する批判しているのではなく、そこに日本の首相が公然と参拝するという政治行為に向けられている。
時の中曽根内閣は中国からの批判を受け、A級戦犯の分祀に動いたことがあった。しかし、靖国神社側から「いったん神として祀ったものを政治的配慮のために取り下げ、または祀り替えすることは祭神に対する冒涜」として拒否されるなどして断念した経緯がある。
また、靖国神社が「宗教法人」である以上、首相の参拝が憲法の政教分離に反するという意見もあるが、だとすれば、政府が主導してA級戦犯の扱いを判断することもまた憲法違反ということになる。何より、A級戦犯の分祀を「靖国からの排除」と考えると、彼らに主要な戦争責任を集中させ、スケープゴートにした東京裁判の再現そのものだ。
ともあれ、中韓の反発は誰もが想定できた今回の首相参拝だが、A級戦犯に対する考え方の違いは「文化の違い」にあるのだろう。日本は死者を赦して過去を水に流す文化があるが、中国は罪人ならば死者にもムチを打ち、韓国は過去の恨みを絶対に忘れない気質だという。事あるごとに難癖をつけ、謝罪と賠償を求め続けてきたのも納得である。
一部メディアには、首相の靖国参拝が中韓との関係悪化の元凶だというトンチンカンな論調があったが、両国は元より日本への挑発と批判を「生き甲斐」としてきた。政治レベルでの「友好化」など今後もあり得ないだろうし、個人的には望みたくもない。
戦時中、日本の新聞やラジオは戦争を賛美する政府の大本営発表を言われるがままにたれ流し、軍と一緒になって国民を騙し続けた。それを信じた多くの日本兵が「お国のために」と自らを鼓舞し、仲間とは「靖国で会おう」との約束を交わし、戦場で散っていった。
時の政府の犠牲となった戦没者に対し、現政府の代表者が手を合わせることを問題視したり、これを以て「戦争の美化」と捉える考え方はお門違いも甚だしいし、屈折しているとしか言いようがない。
私自身も20代前半の在京時、靖国神社の歴史や背景を勉強した上で何度か参拝した。今回の首相公式参拝、私は多いに支持したい。