元旦営業の功罪

※画像はイメージです。私は元旦休みます
今年も1日を残すのみとなったが、スーパーなど小売店の店先に貼り出されている年末年始の営業案内を見るにつけ「元旦営業」が半ば常識化していることに改めて気付く。そして出勤を強いられる従業員は自らの意志で働いている立場上、会社の命令に背くわけにもいかず、世間様の「楽しい正月休み」の演出に一役買っているというわけだ。
以前に読んだ元旦営業に関する新聞記事には「消費者がいる限り、1年365日働け」というブラックな経営者の言葉や「元旦は365日のうちの1日にすぎない」という自嘲まじりの従業員の言葉が載っていた。元旦どころか、24時間営業のスーパーも出てきている現在では、いかにして限られたパイを奪い合うかという競争が、業界では激化しているのかがよく分かる。
同じ24時間体制でも警察や消防などの社会公器と違い、小売業では従業員の多くがパートなどの非正規雇用だ。決して十分とは言えない給与のうえ、「ライバル店が元旦営業を始めたからウチも」という経営者の鶴の一声で、パートタイマーの「静かで特別な日」は吹き飛んでしまう。
ここで資本論(マルクス)を引き合いに出すと止まらなくなるので割愛するが、日本人にとって元旦とは、年に一度かつ一番の安息日であるはずだ。そんな日でも深夜まで店の灯りが点いているということは、裏を返せば日本は豊かな国だという何よりの証左なのだろう。
だが、その根底にある競争経済は、今や地域や庶民をも巻き込む「金儲け至上主義社会」に他ならず、日本の伝統や文化を壊しつつあると言っても過言ではない。サービス業で、元旦に休業されて本当に困る人間などほぼ皆無だろう。
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