
昨日の北海道新聞の記事。開催中の「小樽行きあかりの路」は今年、中国人客を当て込み春節休暇に合わせた日程を組んだものの、尖閣諸島で泥沼化する日中関係の影響で団体客が激減し、市内の観光業者は苦慮しているという。
中国人富裕層が大挙して日本各地を訪れ、土産店で異常な「大人買い」をしているというニュースをよく目にしたが、さすがにピークは過ぎたようだ。減少リスクがあるのを承知しながら「大量にカネを落とす」というだけで中国人ばかりをアテにしてきたツケが回ってきたということだろう。
「ブームはいつか去るもの」なのに、「その後」の展望も戦略も考えていなかったため、こういう状況になると慌てることになる。そもそも、中国人観光客が増えたのは最近10年ほどのこと。それまでは内需(日本人客)で十分に食べていけたはずである。
ところが、不景気で国内旅行が低迷すると、次は「渡りに船」とばかりに露骨に中国人をターゲットとするようになった。若い頃にツアーコンダクターをしていた私は、このような観光業界のスタンスは見苦しく思っていた一人だ。
これは話の順序が逆で、
「中国人ばかりになった観光地だから、日本人が寄りつかなくなった」という側面を無視してはいけない。それが何故なのかは、他ならぬ観光業界がいちばん分かっているだろう。
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中国人観光客が増えるほど、観光現場では様々な軋轢が生じている。つまり「中国人のマナーの悪さに辟易している」のだという。定山渓温泉のある土産店オーナーはかつて、ため息をつきながら葛藤を吐露していた。
「並ばない、割り込むのは当たり前。タバコを吸い歩き、灰を床に落とす。買う前から平気で包装紙を開け、それを注意しても謝らないどころか逆ギレされ、痰やツバを吐かれる。もちろん頭に来るけど、結果的に買ってくれるわけだから我慢するしかない」
また、札幌市内のホテル支配人からも次のような話を聞いたことがある。
「団体チェックインの際にはロビーで大騒ぎ、翌日のチェックアウト時間も守ってくれない。通路の真ん中でトランクを開け、パジャマやスリッパで館内を歩くのも日常茶飯事。旅館のような大部屋はないので、団体客はどうしても部屋を分けることになる。そうすると、各部屋がドアを全開にして自由気ままに仲間の部屋を往来するという行動に出る。他人への迷惑という発想がないようで、他の客からのクレームは尽きず、最終的にはホテルの評価も下がる一方だ」
ここ数年は中国人ツアーの乗務が多いという札幌の観光バス運転手も、日本と大きく違う国民気質に困惑している一人だ。
「皆が大声で喋り、ツアーガイドの話は何も聞いていない。集合時間も守れないので予定通りには走れず、車内でのツバ吐きや飲み食いの汚さには閉口する。結果的に宿入り時間は大幅に遅れ、その後の車内清掃は夜中までかかる。もう勘弁してほしいわ」
そして極めつけは、札幌近郊のドライブインに勤める従業員の話だ。
「中国人団体客の食事の様子は『凄まじい』の一言。よくもこれだけ食い散らかせるものだと感心するほど。洋式トイレの使い方を知らない人が多いようで、便座に足を乗せて用を足すのはマシな方。時には拭いた紙を流さず、備え付けのゴミ箱に入れるので悪臭がひどい。便器のフタの上にウンコが乗っていたこともあった。文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、まさに中華思想の産物で、『郷に従う』のではなく『お前たちが中国人に合わせろ』と考えてるようだ」
経済発展に合わせて文化レベルも向上しつつある中国では、インターネットの普及により世界の文化やマナーを知る術も格段に向上したのは確かだ。事実、中国人の行動に困惑する現場の声には、いずれも「数年前ほどではないが…」という但し書きがつく。
しかし、今や中国人観光客は北京や上海など大都市の富裕層ばかりでない。農村部などに住み、「グローバル・スタンダード」とは無縁の生活をしてきた層に多いと言われるこれらの行動様式は、礼節を重んじ、公共への羞恥心が強く、あらゆるものを殺菌・消臭し、用便後は肛門を洗わなければ気が済まないほど潔癖な日本人にとっては「嫌悪感」に直結する。
インターネット全盛の現代、こうした悪評は一瞬で全国に波及する。そのため、日本人が「触らぬ神に祟りなし」と考えるのも当然で、「中国人万歳」とばかりに内需を蔑ろにしてきたのが昨今の観光不況要因のひとつなのは確かだ。
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では、中国人観光客のマナーだけが問題なのだろうか…。若い頃に旅行添乗員(ツアーコンダクター)をしていたという話は先述したが、その経験から「観光地としての北海道」の内情も書いてみたい。
世界一の味と品質を誇る水道水をさらに浄化して飲む日本人が、彼らの慣習に馴染めないのは当然だろう。しかし、中国人観光客のマナーを嘆く前に、まずは受け入れる観光地全体が接客の意識とレベルを上げるべきである。
昔から北海道は、『素材(自然・食材)は一流、サービス三流』と言われてきた。私の感覚では
「自然は一流、施設は二流、料理は三流、サービス四流、意識は五流」である。
長らく北海道は、全国でも「憧れの観光地」として君臨してきた。東京発2泊3日で2万円台という料金設定も珍しくなかったため、繁忙期にはひとつのツアーでバスが15台になることもあり、そのうち半数のバスが予定のコースを逆回りで走るという珍現象も起きたほどだ。
宿はもちろん、土産店や昼食会場はどこも客で溢れていたためか、「もてなす」のではなく「さばく」というべきレベルの接客が横行していた。また、一期一会の精神に乏しく、法外な値段で商品を売りつける業者が多かったのも事実だ。
通常、団体ツアーはアンケートによる施設や食事などの評価を客に求めるが、エージェント(旅行会社)に影響を与えるのは添乗員による報告書だ。施設側もそれを承知しているため、場合によっては客よりも添乗員に手厚くサービスする施設も多い。だが、それは本州以南での話で、北海道は例外なのだ。
道内温泉地の某ホテルで例えると、客室が空いているにも関わらず、添乗員は会議室や宴会場で寝かされたり(洞爺湖温泉)、窓のない「添乗員専用相部屋」を“完備”していたり(層雲峡温泉)、コップ一杯分の氷をフロントに求めただけで1,000円も請求されたり(湯の川温泉)…。
客室に泊まれないのでは宿を評価しようがなく、ましてや少量の氷まで「商品」にされてしまうと、接客ポリシーにも疑問符がつく。しかし、どれほど事実を正確に書いても、エージェントは取引ホテルを変更しない。他のホテルも他のツアーで一杯だから、そもそも物理的に不可能なのだ。これが北海道の「殿様体質」を作ってしまった要因のひとつである。
また、バス乗務員も客と同じホテルに宿泊するのが一般的なのだが、北海道では主要な観光地に必ずある『乗務員用宿舎』で寝ることになる。格安ツアーゆえのコスト事情もあるとはいえ、「添乗員と乗務員は客にあらず」という全国的にも珍しい思想を、北海道の観光地は持っているのだ。
まずは染みついた「驕り」を改め、真のホスピタリティを養って心から「ようこそ」と言うべきである。未だ生まれ変われない現状は、道民として情けない限りだ。
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長引く不況下、特に北海道経済は国内で最低水準となっているため、観光業界にとって中国人は「金のなる木」だ。だとすれば、迎える側は恨み節を並べながら我慢するのではなく、率先して日本社会のルールを教える努力と非礼を許す寛容さが求められるのかもしれない。
一部調査で「世界一の観光客」と評されるようになった日本人だが、「旅の恥はかき捨て」とばかりの行状で世界中から顰蹙を買っていた時代が続いていた。また、かつては中国や韓国、東南アジアなどへの「買春ツアー」の実態も海外で報じられ、世界中に恥を晒したことも忘れてはならない。
高度成長期の1964年に海外観光旅行が自由化されて以来、日本人は半世紀を費やして「衣食足りて礼節を知ってきた」のだ。同様に、中国でも貧富の差が解消してくるにつれ、彼らの意識も向上してくるのだろう。
政府レベルで緊迫する日中関係はさておき、少なくても観光目的で来日・来道する中国人は「反日分子」ではない。今後も彼らをアテにするしかないのなら、互いに理解し合える方策を考えるべきだろう。いま中国人観光客が歩いている道は、私たち日本人が「いつか来た道」なのだから…。