(根室市内、2010年12月16日撮影)明日は33回目の「北方領土の日」である。
この問題について、安倍首相はロシアのプーチン大統領と「協議を加速させる」ことを確認し、今月にも森喜朗元首相を特使としてモスクワに派遣するという。
私は約2年前に根室市を訪れたが、市内随所に領土返還を訴える看板があり、納沙布岬から肉眼で北方領土を望むことができるこの地は、長らく返還運動の最前線として機能してきた。地元の意識は高く、教育現場でも領土問題に力を入れているため、老若男女がこの問題を論じることができる。
同時に、同じ道内にありながら札幌市民の関心の低さも改めて痛感した。日常生活においては、北方領土の「ほ」の字も出てこないのが現実である。さらに全国に目を向けると、2010年11月の「メドベージェフ大統領が国後島を初訪問」という報道がなければ思い出されることもなかっただろう。
多くの国民にとって、自身の損得に関わらない北方領土問題など「他人事」にすぎないのが実状だ。
領土返還に関わっている主体は、概ね「政府」「元島民」「漁業者」に大別されるが、
政府は【国家主権の回復】、
元島民は【生まれ故郷の奪還】、そして
漁業者は【漁業権域の拡大】という、それぞれの大義名分に“利害関係者”という共通のキーワードがある。裏を返せば、
大多数の国民にとっては「明日の生活を脅かすような深刻な問題ではない」、まずはこの事実を受け止めなければならない。
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1956年の日ソ共同宣言では、平和条約締結を条件に歯舞・色丹を日本に引き渡すことになったが、日本政府はあくまで4島返還を求めたまま現在に至っている。外務省ロシア課によると「まずは全4島の日本への帰属確認が第一義で、実際の引き渡し時期については柔軟に対応する」としている。
また、返還運動に携わる団体も同様のスタンスで、千島歯舞諸島居住者連盟の理事は「2島先行返還論などもあるが、仮に平和条約締結という条件が出されてしまうと、締結の瞬間に領土問題は終わることになり、それでは意味がない」と語っていた。
一方、根室市内のある漁業関係者は「漁場が広がるんだったら、2島だけでも大いに結構」という。北方領土全体のうち歯舞・色丹の2島が占める土地面積はごく僅かだが、欲しいのは土地ではなく、その沿岸から200海里ある排他的経済水域だ。
さらに、麻生政権時代の外務事務次官が言及したとされる「3.5島(総面積で折半)返還論」が報じられた際には、「主権を放棄する売国奴」として激しい批判を浴びた。平時は無関心ながら、具体的な返還案が俎上に載った途端に「寸土も譲るな」というナショナリズムが沸き上がるのが国民世論だ。政府には「4島全面返還」以外の選択肢はない。
政府が4島を譲らない根拠のひとつが、北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するという1993年の「東京宣言」だ。しかし、この条文はあくまで帰属問題の「解決」であり、「日本への帰属」ということにはならない。政府はあまりに都合良く解釈をしていないだろうか。
ロシアにとっても、「全面敗北」となる4島返還に応じる可能性などないことは誰もが感じているはずで、このままでは永遠に返還されないことになる。日本の理屈が通用する相手かどうかは痛感しているのだから、「譲歩しないメリット」と、それ故に「ひとつも返還されないデメリット」を比較検討する余地はないのだろうか。
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09年、北方領土を「我が国固有の領土」と法的に明文化され、政府はこれを最大の根拠としてロシアに返還を求めている。そして「固有の領土」を「かつて一度も外国の支配下に置かれない領土」と定義しているが、
「日本固有の領土だから返せ」という理屈が、世界の共感を得ているとは思えない。
その国の「固有の領土」が他国の領土になることは世界中で繰り返されてきたこと。この論法は国民向けのスローガンとしては一定の有効性があるかも知れないが、
国際政治上に「固有の領土」という概念はなく、ロシアを動かす論拠としてはあまりにも弱いのだ。
しかも、政府のいう「外国」とは近代国家を指しているものと思われ、国家観を持たなかった民族レベルの統治権力という存在を無視している。
固有性を額面通りに解釈すれば、北海道はアイヌ民族固有の領土、北アメリカ大陸はインディアン固有の領土、沖縄は琉球王国固有の領土という理屈になる。「土地の領有」と、その土地を過去に「誰が支配していたか」は全く意味をなさない。
理由や経緯はともかく、武力で取られた領土を理屈で取り戻すのは容易なことではない。国際法は戦勝国に有利に働くため、「勝てば官軍」とばかりにソ連との不可侵条約は有名無実化されている。ロシアが半世紀以上も実効支配を続けているのは、もはや「無理を通して道理を引っ込めた」に等しい状態だ。
また、現在の日本国憲法下では武力で取り返すことも不可能なうえ、道理として「買い取る」という選択肢もない。まさに八方塞がりの状況下での前大統領の国後島訪問だ。国益のための対ロ交渉においても一切の妥協をせず、さらに相手を挑発するかのような法定義の改正や政府首脳の発言は、結果論とはいえ事態を悪化させただけだった。
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00年のプーチン政権誕生から驚異的な経済発展を遂げたロシアは以前、15年を目標年次とする「クリル開発計画」を策定。歯舞群島を除く3島で大規模インフラ整備を行なう方針を打ち出した。ロシアにとっては「極東の小島」であるこの3島に巨額資金を投下するこの計画には領土維持への強い意志が感じられ、メドベージェフ氏が初めて国後島を訪問した頃の約2カ月間に発せられたロシア首脳らによる一連の発言は、日本政府や返還運動関係者らに大きな屈辱と絶望を与えた。(以下、各種報道より。肩書はすべて当時)
「大統領の義務は、ロシア全域の発展を管理すること」(メドベージェフ氏・国後島訪問の際に自身のツイッター上で)
「4島はもちろん、2島をも引き渡すロシア指導者の想定は難しい」(同・日ロ首脳会談で菅首相に対し)
「北方領土に行くのが悪いことなのか」(同・APEC日ロ首脳会談で菅首相に対し)
「解決できない論争より、経済協力の方が有益だ」(同・自身のツイッター上で)
「北方領土での経済開発における日本の参加を歓迎する」(ドボルコビッチ大統領補佐官・APECで記者団に対し)
「我々の素晴らしい風景美に見とれることには何ら反対しない」(露外務省サゾノフ情報局次長・前原誠司外相の上空からの視察に対し)
「極東各地で空港整備を進める。これらは我々ロシアの土地だ」(プーチン首相・党首を務める与党の会議上で)
「北方領土の全てはロシアの領土だ」(メドベージェフ大統領・ロシアのTVインタビューで)
これら言葉は、一時は歩み寄りを見せていたロシア側の態度が硬化してしまったことを裏付けるもので、すでに4島返還の意志はないものと受け取る見方が大勢だった。
09年10月、沖縄・北方担当相だった外相当時の前原誠司氏は北方領土を上空から視察、「終戦のどさくさに紛れて(旧ソ連に)不法占拠されたことは言い続けなくてはならない」と息巻いてロシアの反発を受けたため、10年12月の視察時には「不法占拠」発言を封印した。野党時代、政府の非を責める時は居丈高だったが、与党の現実を知るや右往左往して最後には開き直る民主党をまさに象徴する信念のなさだった。
首相として日ロ首脳会談を経験した鳩山由紀夫氏も、メドベージェフ大統領(当時)の国後島訪問を「(菅内閣に)友愛の精神が足りなかったから起きた」と、国益をめぐる争いを「精神論」で片付けた。さらに、左翼思想の市民運動家だった菅直人氏に至っては、国家や国境などいらぬ「地球市民共同体」を標榜していただけに、そもそも領土問題に取り組もうとする気配は感じられなかった。
そもそも国家マターであるはずの北方領土問題に本気で取り組んでいる国会議員は現在、ほとんど見受けられないのが現状だ。理由は簡単、領土問題は「票にならない」からである。
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日本は、この67年間の現実を重く受け止め、返還交渉の在り方を抜本的に見直す時期ではないのか。北方領土のロシア人住民は増え続け、世代交代も進むなど状況は悪化する一方なのだ。
日常的な返還運動を含め、毎年12月のデモ行進や「北方領土の日」の各種イベントが、国内向けの儀礼的なセレモニーと化してはいないのか。当時のソ連軍の違法性をあげつらって訴えるだけの戦術が果たして正しかったのか。2島、3島、共同統治など国内の様々な返還論に対し、政府は柔軟に取り入れる余地はないのだろうか。
外交とは、互いの政治・経済的利益のための妥協である。しかし、これが領土問題になると感情論が先に立ち、結果として国益の実現を妨げてきた。国民感情を煽って領土問題を議論するのは外交放棄でしかない。また、4島以外の妥結では国民感情が許さないため、理想論と意地を貫いて現状維持に甘んじているのであれば、もはや北方領土問題は茶番と言われても仕方がない。政府はこれまで、北方領土対策費として国内に多額の血税を投入し、ロシアに対しても莫大な経済援助をしてきた。これはまさに全国民が真剣に向き合うべき問題だろう。いつまでも無関心ではいられない。