
大阪市の男子高校生が、主将を務めるバスケ部の顧問教諭から度重なる体罰を受け自殺したというニュースが世間を騒がせている。しかし、教諭の体罰指導には同情的な声も少なくないようだ。(最下部に引用記事)
ところで、ここでいう「体罰」という言葉は正しいのだろうか。体罰は文字通り「罰」であり、悪いことや間違っていることをした際に「身体で分からせる」ために与えるもの。今度の場合は「体育会系」という言葉もあるように、度が過ぎた「しごき」ではないのかと思うのだが…。
ともあれ、識者やテレビのコメンテーターらは一様に「体罰は暴行罪。許してはならない」という論調だ。この一件に限っては明らかに「やり過ぎ」であり、教育指導の範疇を超えていたようだが、ある程度は体罰は必要悪だと私は思う。
私が中高生だった時代は、教師による鉄拳制裁が容認されていた。悪いことをすれば叱られて罰を受けるのは当然で、「口で言っても分からない奴には身体で分からせる」という理屈だ。一方で、体罰を受けても教師を恨んだりするような感情は、当時の生徒にはなかった。教師・生徒・保護者の信頼関係が成立していた時代だった。
ところが今はどうだろう。頭をコツンとやっただけで「体罰だ!」と騒がれるために教師は萎縮し、教育者としての威厳は皆無になった。そして保護者は権利意識ばかりが強くなり、モンスターペアレントは増殖する一方である。
家庭での教育も然りで、腫れ物に触るような扱いしかできない親の多いこと…。二言目には「人権」という言葉を乱用している勢力は多いが、「権利」は「義務」と表裏の関係だ。親に食わせてもらい、勤労納税という社会的義務を果たせない生徒に「権利を主張する権利」はないはずだ。
私が幼い頃の両親は共働きだったため、育ての親は祖母だった。「勉強しろ」という類は一切言わなかったが、一人の人間として育てるための教育法はまさに「熱血」であった。
小学校低学年の頃の私は非常に「手癖」が悪く、頻繁に近所の文具店で万引きをしていた。ところが、祖母と昵懇の仲である店主は全てお見通しで、私が店を出た途端に「また盗んでいったわよ」と自宅に電話が入っていた。
そして、仁王立ちの祖母が玄関で待ち構え、馬乗り状態で鉄拳が飛んできた。鼻血が吹き出し、祖母の顔が返り血で染まっていた光景は今も忘れられない。現在なら完全に「虐待」と言われるであろう体罰だったが、「愛情があってこそ」なのは分かっていたため、祖母を嫌いになるようなことは一度もなかった。
今回の事件とは事情が違う話になったが、ともあれ大人は子供たちに「悪いことをすれば罰を受ける」という社会常識をもっと叩き込むべきだろう。少なくても、人格形成時においては多少の体罰も必要なのではないかと思うのだが…。
熱血?暴力? バスケ部顧問、割れる評価
自殺した生徒は男子バスケ部主将の2年生で、体育科に所属。顧問教諭から目立って体罰を受けていたとされる。「体罰は、生徒が嫌いだからではなく、チームを良くしようと思ってのことだと思う」。体育科3年の男子生徒は、顧問についてこう話した。
大阪市教委によると、顧問は1994年4月、保健体育科教諭として採用された。バスケットボールの指導が専門で、採用後すぐに桜宮高校バスケ部顧問に就いた。過去5年でインターハイに3回出場させるなどの指導力が評価され、2012年度には16歳以下の男子日本代表チームのアシスタントコーチに選ばれた。
普通科3年の男子生徒は「顧問は実績がありすぎて人事異動もできないと聞いたことがある」と話す。
顧問を知る大阪府内の別の高校のバスケ関係者は「熱意があり、生徒に対して本気で接する人」と評価する。監督を兼任していた女子バスケ部の試合では、敗戦後に「勝たせてあげられなくて悪かった」と、選手に涙を流して謝っていたのが目撃されている。
その一方で、学校が男女バスケ部員50人に実施したアンケートでは、4割以上の21人が「(自分も)体罰を受けた」、48人は「他の生徒が体罰を受けるのを見た」と回答。体育系の部にいた3年の男子生徒は「バスケ部員が顧問に怒鳴られていることはしょっちゅうで、本当に厳しい部だった」と話す。
桜宮高校関係者は「顧問もまじめな先生で、自殺した生徒にも問題はなかった。お互い純粋な性格で、指導がいきすぎてしまった結果ではないか」と話した。
(朝日新聞 2012.01.09)