(このエントリは、結婚を経験し、失敗し、否定派になった筆者の一方的な私見です。随所にある断定的な言い方も含めて、既婚者に対する批判や中傷という意味ではないことをご理解のうえ、笑い飛ばして下さい) 先日、45歳になった。
従前から友人に「お前はまだ一人なのか?もういい加減に再婚したらどうだ?」などと言われてきた。ふん、余計なお世話だ。
現在の日本は稀に見る「婚活ブーム」のようだが、私の場合は離婚から19年が経過してもなお、再婚というものに関心を抱けない。離婚届が区役所に受理された日の「もう二度と結婚はしない」と誓った気持ちは今も変わらない。
【結婚は人生の墓場】この言葉が広く世間に浸透している事実を、どう受け止めよう。そして、日本に限らぬ事だが、この異常なほど高い離婚率はいったい…。
結婚は本能的にするものではない。では、人はなぜ結婚するのか―。初婚に限れば、それは未経験ゆえに実感として「結婚とは何か?」が漠然としか分からないのだ。そして、「自分達だけは失敗なんかしない。この愛は永遠に続く」とほぼ100%のカップルが信じている。離婚の理由は数あれど、結婚の理由など「原則として」ひとつしかない。
「愛してる。ずっと一緒にいたい。だから結婚しよう」である。
では、いったい“愛”とは何なのだろう…。
いちばん分かりやすく普遍的なのは「親子愛」だろう。親は自分の命を犠牲にしてでも我が子を守るという本能を持っているようだ。とはいえ、我が子への虐待が騒がれている昨今ではその図式も崩れかけているだろうが、原則として親子愛は確固たる愛の形として存在するのだろう。
ならば、これを夫婦に置き換えるとどうか。愛する人のために、命をかける事ができる人はどのくらいいるのだろう。相手を
「自分の幸せのために必要な存在なだけ」としか思ってはいないか。
自分の損得でしか相手を見定められないとすれば、そこに「愛」などあろうはずがない。
だから、いざ離婚となると、やれ慰謝料だ親権だと己の欲望をぶつけて修羅場を演じることになる。一皮むけば駆引きと損得勘定しか残らないような結婚が、信じてたはずの愛のなれの果てなのか…?
そもそも、短い人生の中で出会う異性の数など知れている。その数少ない異性の中から、違和感のない年齢の時に、そう都合よく「運命の人」と出会っているという世の中の状況が、確率的に考えても腑に落ちないのだ。
そう、結局は「こんなもんかな~」と妥協して、無意識に
相手を「運命の人」に仕立て上げているだけではないのか。本当に愛というものが存在するなら、なぜこうも離婚率が高いのかさっぱり理解できない。
では、「愛は結婚してから育むもの」という考えはどうだろう。見合い結婚などはその典型例だろう。しかし、その結婚生活も「努力と忍耐」なしには成し得ないのではないか。内容はどうあれ、その何事かに耐えられなくなった顛末として離婚に行き着くのだろう。
人間の本質など基本的には今も昔も大差ないと思うが、見合い結婚が当たり前だった時代の夫婦が、こうも簡単に離婚していたという話は聞かない。まぁ、この頃は「離婚は罪悪」という意識が強かったせいもあるのだろうが、とはいえ昨今は、そういう意識が薄れてしまったことを背景にして(つまり覚悟なき結婚をし、堪忍袋の尾も脆くなってしまったため)簡単に離婚もできるのだろう。(自身もその例外ではなかったが…)
候補もいない段階なのに「結婚したい」と思う心理を全否定はしないが、例えば
「結婚して幸せになりたい」という、世にありがちな女性のセリフは、よくよく考えたら末恐ろしい。
「アタシを幸せにできなかったら、お役ご免ですよ」と聞こえるのだ。
その典型例が、自然な出逢いを諦めて、いわゆる「婚活」をしている女性が相手に求める「条件」だ。どうやら「高収入」なのが第一(絶対?)らしい。「じゃあ貴女の“スペック”は釣り合ってるの?」と皮肉を言いたくなるほど図々しい気もするが、そもそも
最初から条件提示し、人間性や相性などは二の次に考えるような結婚が上手くいくはずがない。相手の人格さえ愛していれば、助け合いながら大概の困難は乗り越えられるものだ。
男の収入額に強いこだわりを持つのは、概して
「専業主婦になって楽をしたい」「贅沢な生活をしたい」などという自己欲求心理の表れだろうが、カネのある生活に喜びを感じるのは一時期だけで、すぐに「それが当たり前」という感覚になる(つまり飽きる)。そうなった時に、今度は相手の人間的な短所ばかりが目に付くようになり、「こんなはずじゃなかった」と後悔することになる。その時に初めて
「カネがあれば幸せとは限らない」と気付くのだ。
「幸せになりたい」のではなく、お互いに
「幸せにしてあげたい」と考えるのが、結婚を考える時の本来の姿だろう。相手を敬い思いやる気持ちによって生涯の伴侶に選んだ結婚であれば心から祝福したいと思うが、
「年収○○○万だから」「食いっぱぐれのない公務員だから」「外見は許容範囲だから」などという条件で決める結婚に未来はない。
結婚後、もしも相手が重い病気で長期の入院療養が必要になった場合、
「だったら私が働いて一生面倒見る!」くらいの覚悟と気概を持てる女性と、
「カネの切れ目が縁の切れ目」とばかりに去って行くであろう女性、男がどちらを選びたくなるかは言わずもがなである。
ともあれ、いま「結婚相手を見つけること」を人生の目標にしている男女は、まず
「結婚したい理由」を自問自答してほしいし、恋人もいない段階で結婚を願うこと自体がナンセンスで
「結婚をナメるな」と言いたい。
以上、結婚に失敗した男からの老婆心アドバイスでした。
余談だが、過去の哲学者たちは結婚に関し、様々な言葉を残しているようだ。ほとんどが男目線だが、参考として以下に列挙して終わりたい。
◇
結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる。
(リヒテンベルグ)
ずいぶん敵を持ったけど、 妻よ、お前のようなやつは初めてだ。
(バイロン)
ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。
(アメリカの諺)
人は無我夢中に急いで結婚するから一生悔いることになる。
(モリエール)
できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、
できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。
(バーナード・ショー)
あらゆる人智の中で、結婚に関する知識が一番遅れている。
(バルザック)
恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。
(リヒテンベルグ)
妻を選ぶのはネクタイを買うのとよく似ている。
選んだ時は素敵に見えるが、
家に帰って首に締めてみるとガッカリする。
(ジョイ・アダムス)
結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。
(アーサー・ゴッドフリー)
結婚とは、ただ一人のために残りの人々をすべて断念する行為である。
(ムーア)
結婚は、ほとんどすべての人が歓迎する悪である。
(メナンドロス)
夫婦が長続きする秘訣だって?
それは、一緒にいる時間をなるべく少なくすることさ。
(ポール・ニューマン)
女は二種類に分けられる。
結婚だけを夢見ている独身の女性と
離婚だけを夢見ている既婚の女に。
(ジョルジュ・エルゴジィ)
朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。
(伊達政宗)
「人生最良の時は結婚式の日だった」
「最悪の時は?」
「それ以後の毎日」.
(シティ・スリッカーズ)
人間は
判断力の欠如によって結婚し
忍耐力の欠如によって離婚し、
記憶力の欠如によって再婚する。
(アルマン・サラクルー)
結婚とは、彼の権利を半分にして、義務を2倍にすることである。
(ショーペンハウアー)
独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。
(アンドレ・プレヴォー)
結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。
宝くじなら当たることもあるのだから。
(バーナード・ショウ)
男は退屈から結婚し、女は好奇心から結婚する。
そして双方とも失望する。
(ワイルド)
あらゆる真面目なことのなかで、結婚というやつが一番ふざけている。
(ボーマルシュ)
一窯のパンを焼き損ねれば一週間、
収穫が悪ければ一年間、
不幸な結婚をすれば一生を棒に振る。
(エストニアの諺)
神が同棲を発明した。悪魔は結婚を発明した。
(フランシス・ピカビア)
恋愛とは美しい少女に出会い、
そしてその少女が鱈のように見えるのに
気がつくまでの中間にある甘美な休憩時間だ。
(ジョン・バリモア)
馬鹿な者は、
独身の間は結婚した時のよろこびを空想し、
結婚すると独身時のよろこびを空想する。
(武者小路実篤)
どんなに愛しているかを話すことができるのは、
すこしも愛してないからである。
(ペトラルカ)