新聞のタブーと閉鎖性
2012/02/06(月)

先日、東京都の小島彰さん(仮名・50代)から、メッセージが届いた。曰く、
「新聞は、動物問題の本質を衝くことはできないのか」。
昨年11月に愛犬と死別した小島さんは、それを機に動物問題に関心を寄せるようになった。そして今年、某全国紙の読者欄に現在の動物問題を憂う内容で投稿し、採用されたという。
小島さんが投稿した全文は、以下の通りだ。
家族だった愛犬を11月に亡くし、言い知れぬ寂しさで年を越した。
犬がくれた15年間の幸福を思うと、日本で相変わらず「殺処分」が続けられている事実に激しい憤りを感じる。ペット業者の過剰在庫や売れ残り、飼主自身による遺棄で、「不要」とされた23万匹にものぼる犬猫の命が公共施設による殺処分に持ち込まれているという。
現在の法律ではこの罪深い無責任を断ち切れないから、命を救おうとする人達がいくら頑張っても悲劇を止めることができない。
そんな中での望みは、行政と市民団体が協力して殺処分ゼロをほぼ達成した熊本市の事例だ。各地でもこの勇気ある先駆者に続くことを願わずにいられない。今年は動物愛護の法律が見直される年だ。政府は見識ある愛護活動家の意見や欧州諸国を参考に法を抜本改正すべきだ。
命を弄ぶ事を法が許し、税金を使って残酷・不毛な殺処分が繰り返されている無策・愚行が、一刻も早く是正される事を切望する。
この新聞(仮称:B紙)の読者欄担当者(仮名:A氏)は採用を前提に、小島さんに電話をかけてきた。「全文は掲載できないので、内容の打ち合わせをしたい」と―。
その結果、掲載された文面は“総リニューアル”ともいうべき内容になり、さらに「ペット業者の過剰在庫や売れ残り」「命を弄ぶ事」など、ペット業者批判に当たる文言は全てNGとなったのだという。
当初、A氏に「このように書き直したい」と内容を電話口で読み上げられたのだが、小島さんは「それではあまりに私の投稿と違いすぎる」と抵抗した。しかし、「業界批判的な内容は、新聞として取り上げたくない」と言われたのだという。
つまり、「業界が絡む大事件などが起きた場合は、読者投稿欄からもその事実に対する業界批判は出せるが、明確な事実関係を提示できぬ状態での業界批判は、編集する側として取り上げにくい」(概略)として、小島さんの意図とは異なる「(ペットを捨てる)飼い主だけが悪い」という印象操作をされたことになる。
小島さんは私へのメッセージの中で、「最終的にOKを出したのは事実ですが、どうにも納得できませんし、新聞の『業界とは喧嘩したくない』というスタンスを感じました」として、冒頭の言葉が投げかけられたのだ。
これはB紙に限った話ではないが、大手メディアがペット業界に対して及び腰なのは事実だ。その問題点は理解していても、現状では何ら違法性のない商売を批判することができない。以前、ある大手新聞社系の記者が「(ペット業界の)モラルだけでは闘えない」とこぼしていた話を聞いたことがあるが、いちばん象徴的な言葉だろう。
ペット業界の問題点を追及することは、まさに「モラルを問う」ことであり、「事件」や「疑惑」の類ではない。そのため、A氏による「明確な事実関係」云々という言い訳は的外れだ。しかも、常に政治家や企業経営者の「モラル」を問題にして叩いているのはどこの誰なのか…。
大手メディアの報道には多数の「タブー」が存在している。そして、反抗しない(できない)者は徹底的に糾弾する一方、強い者(スポンサーや各種圧力団体など)に対しては報復を恐れて沈黙するという「弱い者いじめ」のような傾向も強い。
新聞社やテレビ局が、報道対象者から「名誉毀損」「営業妨害」などと訴えられることを極度に恐れていることは理解している。だが、果たしてそこにジャーナリズムは存在するのだろうか。常に何らかの訴訟を抱えている週刊誌の方が、よほど腹を据えた報道をしている。
リスクを恐れるあまりに問題提起すらできない巨大報道機関が、どれほど必要とされているのだろうか。僭越な物言いだが、何の後ろ盾もなく一匹狼の私でさえ、闇だらけの犬業界にペンで喧嘩を売っているのだ。(「そもそも影響力が違うだろ」というツッコミはナシで…)
私は先刻、小島さんの件でA氏に電話をかけ、当時の本意を探ろうとした。だが、「個別取材には対応できない。取材なら書面で、広報に行ってくれ」の一点張りであった。日頃から万人を取材対象として話を聞き出そうとする立場ながら、自身への取材には硬く口を閉ざすのだ。
A氏は「当事者取材が大原則」とよく理解している立場のはずだが、小島さんとのやり取りに関わっていない代理人(広報)に何を聞けというのだろうか。私もかつては取材される側だったこともあり、「する方の気持ち」も「される方の気持ち」も分かっているつもりだが、A氏(B紙)のこの対応には「大新聞の驕り」が滲み出ていた。
旧知の新聞記者にこの一件を質すと、「自分の言葉が新聞社を代表するから、下手に言質を取られたくない…というのが本音」だという。人の言質取りを仕事にしている集団が…である。
自身の言葉に責任を持てない人間が「他人の言葉」でメシを食う。不条理な話だが、ここらに最近言われる「マスコミ不信」の遠因がありそうだ。まぁ私にとっては、いい反面教師だが…。
カテゴリ : 報道誹議