永遠も半ばを過ぎた

フリーデザイナー兼カメラマンの苦言・放言・一家言

新型コロナの死亡率を出してみた

2020/04/02(木)



1月中旬頃から始まった新型コロナ狂騒曲は4月になってますますエスカレートしており、メディアはこぞって「医療崩壊だ」「緊急事態宣言だ」「首都封鎖だ」などと国民の不安を煽っている。日々の感染確認者数と共に発表される「累計」数ばかりが強調され、無症状や軽症のまま退院した患者数は事実上、黙殺されている。メディアによる巧みな印象操作により国民は他人に対して疑心暗鬼になり、ただでさえ殺伐としている世の中が一層、醜悪になってきているようだ。

欧米などの諸外国に比べれば、日本の感染者数の累計グラフは緩やかなカーブで、感染症の流行としては理想的な推移を辿っていると思われるが、一方で「日本はPCR検査数が圧倒的に少ないから感染者数も比例して少ないだけ」との指摘もある。つまり「無自覚・無症状の陽性者を発見できていない」ということになり、ゆえに「日本は感染者数が少ない」という意見は参考にならないという理屈である。

確かにその通りなのだろう。ならば「死者数」はどうだろう。感染者数は意図的に検査数を抑えるだけで数値を少なくできるが、死亡する感染者はまず発症し、重症→重篤→死亡という道を辿るため自ずと病院の世話になり、治療の過程で新型コロナの疑いがあればPCR検査をするだろうから「新型コロナによる死者数」は誤魔化しようがないはずだ。

そこで、(仕事がヒマなので)死亡者が出ている都道府県の人口を元に、新型コロナの「感染死の確率」を計算してみた。また、比較参考用として世界各国の感染死率と、国内における「他の死因」との比率も比較した。

主な集計結果(抜粋)は以下の通り。(比率は全て人口比)

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  ◇   ◇   ◇

【簡易解説】表①(都道府県別)
現在、感染者数の増加ペースが著しい東京を見ると、死者数は16人で、比率は人口の約0.0001%、約87万人に一人という割合だ。

【簡易解説】表②(国別)
(本当は中国だとは思うが…)世界で最も死者数が多いのがイタリアで12,428人、人口の約0.02%で4,862人に一人である。一方の日本は全体で69人の0.00005%、約182万人に一人となった。

【簡易解説】表③(国内の死因別)
国内の1年間(2018年)で最も多い死因の「がん」が38万人超で人口の約0.3%。対して「新型コロナ」は集計期間がまだ2ヶ月半程度なので、69名を仮に1年分として30倍で見積もったとして2,070人、それでも「貧血死」より少ないどころか、治療薬やワクチンが確立されているはずのインフルエンザをも下回る。だが「毎年のことだから」とインフルの流行を騒ぐメディアはなく、国民もまるで無関心なのだから呆れた話だ。

あくまで「4月1日現在の死亡者数」という前提だが、これらのデータを見る限り、メディアの騒ぎ方は少し異常ではないのか。以前から「ピークはまだ先」と言っており、日ごとに感染者の数値が増え続けるのは分かっていたこと。今の段階でこれだけ騒がれると、ピークを迎える頃にはどんな状態になっているのやら…。

もちろん、私は感染症については全く素人なので、医師や専門家らの「警鐘」を真っ向から否定する知識も見識もない。だが、日本は春節の中国人観光客をを受け入れたばかりに早い段階からウイルスを大量上陸させてしまったにも関わらず、米国や欧州各国に比べてはるかに「死亡者数」を抑えているのは事実だ。

それなのに政府やメディアは「医療崩壊は近い」と断じている。少なくても数字上の感染者が圧倒的に少ない現状で、「感染症」という特殊事情があるとはいえ日本の医療体制はそれほど脆弱なのだろうか。PCR検査で陽性と出てしまえば、約8割といわれる無症状・軽症者も一律に隔離入院させる今の体制を改善すれば何とかなる話ではないのか…。

確かに、イタリアの数字を見ると「惨劇」と言える状態であり、「イタリアのようになる前に予防措置を」という考え方も理解できるのだが、国民を落ち着かせる役割のはずのメディアがいちばんパニクっており、必然的に国民もおかしくなってきている。

サージカルマスクなどできちんと防護しているはずの医療従事者も次々と感染しているのだ。ある程度の流行・蔓延は不可避なのだから「なるようにしかならない」という一定の開き直りも必要ではないのか。もちろん、外出自粛が叫ばれる中で「遠慮せずに遊びに行け」という意味ではないのだが、国民全体が精神的に壊れていく方がウイルスよりよほど怖いわ…。

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やはり呪われていた「日本の五輪」

2020/03/25(水)



去る18日、麻生太郎副総理兼財務相は新型コロナの感染拡大で東京五輪の延期や中止が懸念されていたことに関連し、過去には40年周期で日本の五輪関係に問題が起きているとして「呪われたオリンピック」と表現したため、例によってメディアが食いつき大きく取り上げて大バッシングを展開していた。

歯に衣着せぬ発言で知られる麻生氏なので、いつも虎視眈々と「失言」を狙っていた記者連中はさぞ大喜びだったろう。ところで、過去の五輪に関して、日本に何があったのだろう。

・1940年〔東京〕→ 開催権返上(戦争)
・1940年〔札幌〕→ 中止(戦争)
・1980年〔モスクワ〕→ 参加辞退(ソ連情勢で米に追従)
・2020年〔東京〕→ 翌年延期(疫病)


1940年当時の五輪は夏・冬同年開催だったため重複しているが、確かに40年周期で何らかの「異常事態」が起きており、その符合から「まるで呪われているようだ」と感じるのは不自然なことではないだろう。

麻生氏のこの発言時にはまだ「東京五輪の開催の行方は?」という段階だったが、莫大な利権を手にしている利害関係者にとっては「開催強行」しか選択肢はなかったようで、中止や延期論を否定し続けていた。

ところが、12日にアメリカのトランプ大統領が記者団に「1年延期」を提言したのを皮切りに、カナダのオリ・パラ委員会には「今年の開催強行なら選手団を派遣しない」との声明を出されるなど、徐々に外堀を埋められて身動きが取れなくなった昨日、ついに安倍首相とIOCのバッハ会長との間に「1年程度の延期」が合意され、正式に発表された。

私は常々、日本(のメディア)における五輪の「お祭り騒ぎを通り越したバカ騒ぎ」に辟易していることは過去の記事で書いたが、そのせいで東京五輪も招致運動時から国民の一人としては反対の立場だった。

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そもそも、五輪の開催単位は「国」ではなく「都市」のはずなのに、なぜか国家(政府)が深く介入して「五輪担当大臣」なるポストまで創設するほどの入れ込みようだ。また、「暑さ対策」という理由でマラソンや競歩の会場が(無理やり)札幌へ変更されるなどもあり、「東京五輪」ならぬ「ニッポン五輪」の様相を呈していた。

招致段階では約8,000億程度のはずだった大会予算はなぜか3兆円にまで膨れ上がり、その内の少なくても8,700億円超もの国税が湯水のごとく使われてきた。そして、この度の延期によって国民は更なる負担を強要される一方、利害関係者の間ではさらなる利権の取り合いやマネーゲームが繰り広げられ続けることになる。

思い起こせば、2015年に発表された大会公式エンブレムがベルギーのデザイナーに「自作のデザインを盗まれた」と訴訟を起こされてデザインを再募集するハメになったり、新国立競技場のデザインが国際コンペによって選出されたものの建設費が当初予算の2倍に膨れ上がったため、これもデザイン変更を余儀なくされたりと、東京五輪はこの頃からミソがつき始めていた。

今後、新型コロナの影響で企業倒産や失業者が続出し、つまり日本経済がかつてないほどの恐慌を迎えるのは必至で、新型コロナによる死者数より「違う理由で死ぬ人間」の数の方が上回る可能性もある。そんな中で開催される延期五輪で、メディアはまた「五輪で日本を元気に!」などという情緒的なスローガンでバカ騒ぎするのだろうが、国民全体が本当の意味で元気になるとは到底思えない。

東京都・政府・組織委員会・大会スポンサー、果ては五輪特需でひと儲けを企む商売人など、欲にまみれた「自分ファースト」な連中が推し進める「平和の祭典」に、果たして未来や希望はあるのだろうか。

やはり「呪われた五輪」だなこりゃ…。


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英語が「オーバーシュート」してる件

2020/03/24(火)



連日の新型コロナに関する報道を見ながら、何とも言えない“違和感”を感じていた向きは少なくないだろう。政府や専門家が記者会見する度に連発している「英語」である。思いつくだけでも以下の言葉が踊っている。

・パンデミック(世界的大流行)
・クラスター(小規模集団感染)
・オーバーシュート(爆発的感染)
・ロックダウン(封鎖)
・エビデンス(根拠、証拠)
・フェーズ(段階)


その言葉自体が固有名詞だったり、他に意味する日本語がないなら話は別だが、日本国民に対する発表の言葉にしてはいささか乱用しすぎであり、特に高齢者はさぞ理解しにくいことだろう。

そして本日、河野太郎防衛相がツイッターで、その風潮に疑問を呈した。「クラスターは集団感染、オーバーシュートは感染爆発、ロックダウンは都市封鎖ではダメなのか。なんでカタカナ?」と…。

政府も専門家会議も「命に係わる話」をするからには国民の誰もがすぐに理解できる言葉を使うべきなのに、こぞって難解な英語を使いたがり、あろうことかメディアもそれに飛びつき、そのまま引用している。

専門家同士の会議の場でなら、話が通じやすい「業界用語」として自由に使えばいいが、こと決議を国民に向けて発表する際には、万人に分かりやすい言葉で話さなければ意味がないだろう。

ところで、「アウフヘーベン(持ち上げる)」「ワイズ・スペンディング(賢い支出)」「アンシャン・レジーム(古い体制)」など「独りよがりなカタカナ語の乱用」で有名な東京都の小池百合知事は本日の記者会見で、感染拡大による東京都の封鎖の可能性について、次のように話した。

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「事態の今後の推移によっては、都市の封鎖、いわゆるロックダウンなど強力な措置を取らざるを得ない状況が出てくる可能性がある」

日本語としておかしい部分が1ヶ所あるのだが、お分かりだろうか。
そう、【いわゆる】の使い方である。

この言葉は「世に言われる」「俗に言う」「言わば」などの意味として使われる。つまり、「いわゆる」の後に来る方が一般的に認知・理解されている言葉でなければならないため、この場合には「ロックダウン、いわば都市の封鎖」とするのが正しい日本語文法だ。

この時は自身の言葉ではなく、役人が作ったであろうペーパーを読み上げていただけだったが、それでも下読みの段階でも間違いに気付かなかったのか、あるいはそれで正しいと思っていたのか…。何にせよ、日本の首都の長として発信する立場にありながら正しい日本語も使えず、難解な外来語を多用する姿は滑稽でしかない。

英語を使えば権威づくと思っているのかも知れないが、国民にメッセージを伝える立場の人間は、もっと「理解してもらう」という謙虚な姿勢を見せるべきだろう。小池知事に限った話ではないが、無意識に主権者である国民を「庶民」と見下す勘違い公職者が多すぎる。

政府・専門家・メディアなど新型コロナに関する発信者は、正しい情報を「分かりやすい言葉で」伝えるよう努めてほしいものだ。

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「マスク姿で行楽」の衆愚

2020/03/23(月)



「感染はイヤだけど自粛も疲れた。遊びに行こー!」というところか…。

この3連休、全国で人がどっと押し寄せた行楽地が少なくなかったそうだ。政府や自治体が人混みへの外出自粛要請を解除したわけでもないのだが、いかんせん「命令」ではなく「要請」に過ぎないので、ストレス発散とばかりに繰り出したのだろう。

個人的に、あまりに行き過ぎた自粛は精神的にも日本の経済にも良くないので外出は「悪ではない」とは思うのだが、テレビニュースが流していた行楽地(人手)の映像を観て異様に感じたのは「猫も杓子もマスク」という光景だ。

この新型コロナ騒動が起きる以前から、病気でもない日本人の高マスク率(花粉症予防を除く)には不思議な思いを抱いていたのだが、今回の騒動でも国民の不安を煽りたいメディアが執拗に「マスク不足」を誇大連呼し、あたかも「マスクしない人は全員感染して死ぬ」とばかりの恐怖心を植え付け、全国的な品切れやネットでの高額転売を引き起こした。

WHO(世界保健機関)は2月下旬、新型コロナウイルスの感染予防に向けたマスクなどの適切な使い方の指針として「咳やくしゃみといった症状がない人は、予防目的で学校・駅・商業施設など公共の場でマスクを着用する必要はない」との声明を出している。

また、厚生労働省も「症状のある人は、咳・くしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために不織布マスクを積極的に着用すること(咳エチケット)が推奨されるが、感染していない健康な人が不織布マスクを着用することで飛沫を完全に防ぐことはできない」(要旨)としている。

一般的に、不織布マスクの繊維の隙間は約5µm(マイクロメートル)と言われるが、花粉の大きさが約30µmなのに対し、各種ウイルスは0.1µm前後、飛沫核(飛沫の水分が飛んだウイルス)が3µm前後だという。つまり、花粉症予防には効果があるが、こと新型コロナに関しては「しないよりはマシ」という程度の気休めグッズでしかない。

ただし、こう書くと次のような反論が帰ってくるだろう。

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「自分が感染していて(無症状や潜伏期間)、他人にウイルスを移す可能性があるからマスクをしているのだ」と…。

理屈としてはその通りなのだが、本当に「自分が感染しているかも」などと思っているのだろうか。いや、意識的に「自分だけは大丈夫」と言い聞かせてはいるはずだ。医者に「がん宣告」をされたら平常心ではいられないのと一緒で、「感染=死ぬかも」と考えたら、とても行楽地になど出かける心境にはなれないはずだ。

つまり、マスクをつけてでも遊びに出かけるのは、まだ自分は感染していないということを前提に「マスクをしているから移されない」という誤った安心感か、あるいは「みんなマスクだから自分も」という右へならえの国民性ゆえか…。

連日、各自治体から感染者数が発表されているが、その中で常にマスクを着用していた患者の数は決して知らされないのはなぜなのか。また、N95などのサージカルマスクを常に着用しているはずの医療関係者にも多数の感染者が出ている現実を、どう理解すべきなのだう。

本当にマスクで感染拡大を防げるのなら、全国民に強制的なマスク着用命令を出せば万事解決のはずだ。政府や多くの自治体が「外出自粛」を要請はしているが、生産体制という問題があるにせよ「マスクを着用せよ」と呼びかける例は皆無に近い。なぜなら、マスクは何の役にも立たないことを分かっているからで、外出自粛で経済が停滞することは承知の上で、それ以外に方法がないという意味に他ならない。

ドラッグストアなどの小売店では開店前から行列ができ、開店後すぐにマスクが売り切れる状況は相変わらず続いているようだ。購入者のほとんどの目的が「念のため」程度にも関わらず「自分さえよければいい」という発想(→ 一例)で、それによりコロナではない病気(インフルや喘息など)で本当に必要な人には行き渡っていないケースも多いという。

本気で感染する(させる)ことを恐れているなら、ウイルスが素通りする不織布マスクなどではなくガスマスクの購入をお勧めする。

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きな臭い 孫正義の「善行」

2020/03/15(日)
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去る11日、ソフトバンクグループの会長である孫正義がツイッターに「新型コロナウイルスに不安のある方々に、簡易PCR検査の機械を無償で提供したい。まずは100万人分。申し込み方法等、これから準備」と投稿したところ、これに批判が殺到したために前言撤回、「マスク100万枚の寄付」に変更したという。

批判の多くは「やみくもな検査によって軽症者も病院に殺到する」「韓国とイタリアで徹底検査して医療崩壊している現実を知らないのか」というものだ。

この新型コロナ騒動に関しては、テレビによく出ている「専門家」の意見も各人各様で、もはや何が正解なのか事実なのかも分からないカオスな状態になっているが、少なくても医療や感染症に関してはド素人の御仁が誰に相談することなく行うパフォーマンスとしては、いささか軽率で度が過ぎたようだ。

思い起こせば、孫正義は9年前の東日本大震災の発生時にも「100億円を寄付します!」とブチ上げて注目を浴びたものの、それから2ヶ月が過ぎても寄付の事実が確認されないため「本当に寄付したのか?」と疑問の声が巷に流れるようになった。

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そんな折に発表されたのが「公益法人『東日本大震災復興支援財団』に40億円を寄付し、残りを赤十字や各自治体に配布する」というものだった。だが、この財団の理事(当時)には孫正義自身を筆頭に、自身と関係が近い政界関係者やソフトバンクグループの幹部がずらりと名を連ねていたが、組織の活動目的は不明で、復興支援に動いたという具体的な事実も確認されなかったという。

つまり、寄付すると公言していた100億のうち、40億は事実上「自分に寄付した」ようなものだ。まぁ各種の税金対策という目的もあったのだろうが、それにしてもやり方が姑息である。

とはいえ、60億円分は実際に自治体等へ寄付したようなので本来は称えられるべきなのだろうが、だったら寄付額を「100億」ではなく、最初から「60億」と言うべきだった。今回のPCR検査やマスクの件も然りだが、孫正義はよほど「100」という数字が好きなのだろう。

ところで、世界の至るところで発生する災害等によって世間の注目が集まっている時、世の著名人たちはなぜ「寄付の事実や金額」を発表するのだろうか。寄付行為は紛れもないい善行ではあるのだが、それをことさらに公表することに違和感を感じる向きは少なくないだろう。

孫正義も、件の「100億円寄付」の発表の際に「最初は黙して行うことを考えたが、有言実行に切り替えた」と語っていたが、これ自体も、わざわざ恩着せがましく言うことではないだろう。

一般市民で例えるなら、物乞いに千円札1枚を差し出す姿を自撮りし、SNSで「今日、乞食に千円も恵んでやりましたーっ!」と自慢げに語るようなものだ。

昨今は「インスタ映え」なる言葉が流行し、他人から「いいね!」をもらうため常に「どこかに行って、何かをしなければ」という強迫観念を抱く風潮がある。著名人なら特にその傾向は強く、自身の生活が脅かされない程度の金額を寄付・発表して世間の注目を浴びることで承認欲求を満たしたいのだろう。

欧米では、富裕層の多くは「寄付は当然」という意識を持ってそれを実行しているが、いちいちその事実を公表しない。なぜなら、公表した瞬間にその善意が「偽善に変わる」ことを分かっているからだ。

一方、「しない善より、する偽善」という言葉がある。たとえ偽善でも、しないよりはマシという意味だが、寄付金を受ける側にとっては、たとえ偽善だとしてもありがたいものだろうが、「感謝しろよ」と言わんばかりの公表寄付より、見返りを求めない匿名寄付の方がよほど善意を感じるし、謝意は大きいはずだ。

特に日本人は慣習として、人から何かを贈られた場合に「お返し」を考える。少なくても寄付に対してはその必要はないのだが、寄付者が誰なのか分かってしまうと、受ける方はずっとプレッシャーを持ち続けることになる。本来、善行とは人知れず行うものであり、それを自ら吹聴するものではない。

孫正義が率いるソフトバンクグループは、昨年秋頃から深刻な株価下落の一途を辿り続けており、そんなタイミングでの新型コロナ騒動である。突然、約3年も放置していたツイッターを更新して「PCR検査100万人プラン」をブチ上げることによって、文字通り「株を上げる」つもりだったのだろうか…(笑)

一般には「カリスマ経営者」と言われることの多い孫正義だが、人望がないため経済界の中では孤立しているという。9年前の件といい、国民の混乱に乗じて「施し」を与え、それを誇らしげに公表するという自己顕示欲の強さが「本当のカリスマ」になれない要因のひとつなのかも…。


(文中敬称略)




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甘ったれるなフリーランス

2020/03/13(金)
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実に3年8ヶ月ぶりの更新だが、どうもお久しぶりです。
(もう読者もいなくなったと思うが…笑)

さて、1月から話題になり始めた新型コロナ騒動で、今や一億総パニック状態に陥っている我が国だが、ここに至っては世界中で「新型コロナ狂騒曲」が繰り広げられている模様である。

新型コロナは未知のウイルスとはいえ、現時点の統計では約8割超の感染者が無症状または軽症で済み、その症状も「ウイルス性の風邪」の域を出ないものなのだが、まるでペストやマラリアのごとく「感染したら人生終了」のようなイメージになってしまっている。

なるほど、テレビのワイドショーなどを観ると「専門家」たちはここぞとばかりに論拠の希薄な持論を展開し(しかも人によって意見の方向性が正反対)、そして「コメンテーター」として登場するお笑い芸人やタレントたちはその専門家に同調するように、したり顔で知ったかぶりのコメントを垂れ流している。

連日、累計の感染者数だけを積み上げるだけで、回復・退院者の数はほとんど出さないメディアの扇動報道を鵜呑みにする国民が多いんだろうなぁと思いつつ、他人事ではない「あるテーマ」に関するニュースが気になったので一言。

それは、学校の一斉休校によって子供の世話を余儀なくされ、出勤できなくなった労働者がいる企業への休業補償(一人あたり1日8,330円)に関連し、フリーランスに対する補償額(同4,100円)への不平不満が噴出しているとの記事だ。(本文最下欄に記事全文)

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「フリーランス」とは、特定の企業や組織などに雇われる「雇用契約」ではなく、「業務(委託)契約」によって自らの技能や知識をクライアントに売る個人事業主のことで、かくいう私もフリーランスの一人である。

守ってくれる組織がなく、明日の仕事の保証もないフリーランスだが、月々の収入に限度がある会社員とは違い、能力や努力によっては青天井の収入が得られるのもまたフリーランスである。私たちはそういう特性を理解し、リスクも覚悟したうえで開業したはずである。

フリーランスが外的要因によって仕事を減らしたり無くなったりするのは今回の騒動に限ったことではないのだが、特定野党やメディアの執拗な「政府叩き」に乗じて「俺にも補償しろ」だの「これでは安すぎる」だのと文句を言うのはお門違いも甚だしい。

それに、今回の政府の補償はあくまで「一斉休校に伴う措置」で、一人では留守番ができない低学年の子供を持つ保護者が対象なのだが、政府の要請に伴う各種の「自粛」等が原因で仕事が無くなった分も補償されると勘違いしているフリーランスのなんと多いことか…。

ともあれ、誰に命令されたからではなく、自らの意思でフリーランスという生き方を選んだはずである。仕事のキャンセルや収入減少を国のせいにしているヒマがあったら、めげずに営業するなり、とりあえずは日雇いのアルバイトでもして食いつなぐなどの努力はできないのだろうか。少なくても「副業禁止」という制約はないのだから…。

もっと辛辣に言えば、国に補償してほしいと言っている時点で「私は当面をしのぐ貯金すらない、仕事のできない人間です」と公言しているようなもので、これではフリーランス全体の印象が悪くなるだけである。

観光客の減少や過度な自粛による原因売上減を理由に突然解雇されてしまったり、資金繰りに窮して廃業・倒産する企業は今後どっと出てくることだろう。それはつまり、フリーランスではとても及ばないほどの莫大な債務と責任を背負う経営者が続出するということだ。

多くの産業が深刻なダメージを受けている中で「木を見て森を見ず」がごとく自分の損失だけを声高に叫ぶのではなく、私自身も含め、フリーランスはもう少し冷静に思慮・行動すべきだろう。


休業補償 フリーランスに不公平感 新型コロナ 対象限定 少ない日額

政府が新型コロナウイルス感染症対策として緊急対策第2弾に盛り込んだ休業補償を巡り、フリーランスで働く人から不安や困惑の声が上がっている。対象が、企業から業務委託を受けて働いており、休校中の子どもの世話で休んだ人に限られているほか、1日4,100円に設定された金額の根拠もあいまいなためだ。鳥取県は支援対象を広げるため、独自に個人事業主に助成する取り組みを始める。
(田口博久、野呂有里、斉藤千絵)

「日額4,100円ではとても足りない。制度の中身もよく分からない」。企業広告などを扱う札幌市中央区のフリーライターの男性(47)はこう話す。3月に入り、契約先との面談や委託業務が相次ぎキャンセルとなった。共働きの妻と交代で小学4年生の長女と自宅で過ごさなければならず、生活に不安を募らせる。

厚生労働省は4,100円の根拠を「東京都の最低賃金1,013円を基に、フリーランスの就労時間が4時間と仮定して算出した」とする。ただ、会社勤めの保護者は日額上限8,330円が企業に助成され、大きく見劣りする。

厚労省は「制度を作るには一定の線引きが必要だ」と釈明するが、不透明感は拭いきれない。

支援対象から漏れる人もいる。札幌市手稲区の新岡唯さん(31)はフリーランスの個人事業主として、3歳の息子を保育園に通わせながら企業の採用支援や人材育成を手掛ける。先月以降、業務委託の仕事3、4件がキャンセルとなり、損失は10万円以上になった。

しかし今回、国が支援するのは、学校の臨時休校に伴い子どもの世話をするために仕事を休んだ人だけだ。新岡さんは「子どもが小中学生かどうかで対象の可否が変わるのは不平等ではないか」と首をかしげる。

各種イベントは政府の自粛要請に応じて中止されているにもかかわらず、対象外だ。日本俳優連合などは12日、東京都内で記者会見し、フリーランスとして働く芸能従事者への所得補償を政府に求めた。

池水通洋専務理事は「公演キャンセルが相次いでおり、劇団員らが無収入になっている」。同席した落語芸術協会の田沢祐一事務局長も「若い落語家が生活していけない」と窮状を訴えた。

一方、鳥取県は11日、業務委託ではない人を対象に国と同額の1日4,100円を補償する独自の支援策を発表した。子どもの休校で仕事を休んでいるという条件は国と同じだが、個人タクシーの運転手や個人商店主、飲食店主らを想定する。県商工政策課は「地方と大都市圏は働き方も異なる。きちんと支援の網を掛けていきたい」と説明している。

 (北海道新聞 2020.03.13)


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悪しき判例を作った「ファウルボール訴訟」

2016/05/21(土)


札幌ドームでプロ野球観戦中、ファウルボールの直撃で右目を失明した30代女性が、北海道日本ハムファイターズ、札幌ドーム、札幌市に計約4,660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、札幌高裁は1審判決から減額し、球団に約3,357万円の支払いを命じ、それ以外への請求は棄却したという。

高裁判決によると、球団は「安全策が欠いていたとは言えない」としながら、原告女性は球団に招待された子供の保護者として来場していたため「危険性を認識していないこと予見できた」との見解を示した。

どうやら、女性が子供の世話をしている時にボールが飛んできたようで、打球の行方は見ていなかったらしい。とはいえ、熱心なファンか招待客かによって危険性の認識度を判断するとはずいぶん危険なやり方ではないのか。

招待なのか自主的なのかに関わらず、硬いボールが飛び交うプロ野球場へ来た時点で、ボールに直撃されたとしても「自己責任」というのが暗黙の了解のはずである。

防護ネットやフェンスを張り巡らせることによって「臨場感が薄れる」と球団が危惧するのも当然で、テレビで観ていれば全てのプレーがアップで見られるにも関わらず、選手が「米つぶ程度」の大きさにしか見えない球場にわざわざ行くのは、まさに臨場感を味わうためだ。

件の女性に関しては、失明までしてしまったのは同情を禁じ得ないものの、数万人が観戦していた中での「ただ一人」になってしまったのは運が悪かったとしか言いようがなく、その責任を球団やドーム側に求めるのはお門違いである。

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このような「ゴネ得」を許した判決が前例(判例)になると、今後はファウルボールによって怪我をした観客はこぞって訴訟を起こすことになるだろう。その結果、選手たちがプレーをするフィールドはサーカスのライオン芸よろしく全て金網で覆われることにもなりかねない。

ちなみに、MLB(米メジャーリーグ)でも同様の訴訟が数多く提起されるものの、ほぼ全ての案件が「自己責任」として門前払いされるという。

自分に不利益があると主催者などに管理責任を求める昨今の風潮は、結果的に社会全体を萎縮させることにもなり、事なかれ主義に走らせることになるし、まさに今の時代はそのような世の中になってしまっているようだ。

球団側はぜひ上告して最高裁で争ってほしいものだが…。

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「なんでも自動化」で衰退する運転技術

2016/04/14(木)


「自動車」とはいうけれど、今や当たり前となったトランスミッションの自動化(オートマ)に始まり、最近のメーカーは自動アシストブレーキや踏み間違え衝突防止アシスト、さらに自動ハンドル、自動駐車、自動ハイビームなど、あらゆる運転操作を自動化し、子供でも運転できるような車づくりに力を注いでいる。

それどころか、一部の運転操作ではなく「運転そのもの」を自動化するのが最終目標とされる向きもあり、これではいつか免許制度自体がなくなり、車は子供のおもちゃになる時代が来ることだろう。

そんな折、国土交通省は各メーカーに対し、一定の暗さになるとヘッドライトが自動で点灯する「オートライト」機能の装備を義務づける方針を固めたという。

薄暮時の無灯火での事故が多い状況を踏まえた結論のようだが、先述のあらゆる自動化に通じる行政やメーカーの本末転倒ぶりを象徴する政策である。

薄暗くなってもライトを点灯させないドライバーが多いのなら「強制的に点けさせよう」という安直な発想は「木を見て森を見ず」の典型で、事故を減らす根本的な対策にはなっていない。

例えば、アクセルとブレーキの踏み間違え事故は国内で年間7千件もあるといわれるが、両ペダルは直感的かつ無意識に操作されなければならない(いちいち考えて操作するものではない)ので、これができなくなったドライバーは「運転してはいけない」状態になったことになる。

ヘッドライトの点灯にしても然りで、薄暮時どころか夜間でも平然と無灯火で走っている車は頻繁に見かけるが、自車の前方が暗いことに気付かないドライバーは、もうその時点で運転する資格はない。免許を自主返上するか取り消し処分を受けるべきで、それだけで多くの事故を未然に防げることになる。

…と書くと、かなり過激な主張と感じられるかも知れないが、車の運転というものを軽く考えているドライバーがあまりにも多いのが実情で、それ以前に日本の免許取得制度自体も問題点だらけだ。

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日本の免許取得にかかる費用の高さと時間の長さは世界一とも言われるが、形ばかりの路上教習はするものの、基本的には教習状内のコースを「教わった通り」に運転できれば免許は取れてしまうのが実態だ。

本来は、刻々と変わり続ける実際の交通・道路状況に対応できる技能が備わらないと与えられるべきではない免許が、どれほど資質のない者でも最終的にはほぼ間違いなく手にすることになり、「走る凶器」の操作権を得てしまう。

そもそも、5年も10年も運転していないペーパードライバーが制度上の「優良運転者」とされる国だし、免許や車の周りには「利権」がごっそりとあるので、運転に必要な感性やセンスの有無に関係なく免許取得者は日々大量に生み出されている。

現在は自発光式メーターを採用している車も増えているが、基本的にポジション(スモール)ランプあるいはヘッドライトを点けないとメーターパネルは真っ暗なままだ。つまり、無灯火走行しているということはメーターを見ていないことになる。

メーターを見ないで運転をしているドライバーは、対向車が来ているのにハイビームを消し忘れたり、半ドアのままでも気付かずに運転している。いずれの場合もメーターにシグナルが出るので、普通は気付くものだ。

それ以外にも、直前に大きく右に膨らんでから左折するケース。これは内輪差によりリアタイヤが縁石などと接触するのを避けるため無意識に行ってしまうものだが、これは車両感覚の欠如であり、リアタイヤの軌跡をイメージできていないことによる。

さらには、サイドミラーを畳んだままのケース。これはもう論外で、「私は周りを全く見ていません」と言っているようなもので、そんなドライバーの9割が女性である。これは別に女性差別というわけではなく、累計36万キロを運転してきた経験に基づく事実である。

「1姫 2トラ 3ダンプ」という言葉をご存じだろうか。
「近づくべきではない危険な車」を揶揄している。

「1姫」は女性。一点集中で周りを見ないため。
「2トラ」は酔っぱらい。酔う=トラになるという言葉から。
「3ダンプ」は文字通り。積載状況によって制動力が変わるため。

この「1姫」については、性差で脳の働きが違うため責めることはできないのかも知れないが、少なくても車の運転に適した脳ではないようだ。

ともあれ、運転操作のミスによる事故が多いからその部分を自動化するのでは、必要な運転技術がますます衰退するだけである。そうではなく、運転に向かないドライバーを何とかするべきではないのか。ここを棚上げして国交省や警察庁が「事故減少」ばかり叫んだところで、何の解決にもならないだろうに…。

カテゴリ : 時事社会

まかり通った「子供は害悪」思想

2016/04/12(火)



「ニンビー(NIMBY)症候群」という言葉をご存じだろうか。
“Not In My Back Yard”(自分の裏庭はダメ)の略で、要は「施設の必要性は認めるが、ウチの近所には建てないでくれ」という姿勢や主張を指す言葉だ。

いわゆる「迷惑施設」や「嫌悪施設」と言われるものが対象で、各種処理場、遊技場、刑務所、精神病院、葬儀・火葬場などが代表的だが、「幼稚園・保育園」もそのうちのひとつとされている。

千葉県市川市で今月開園予定だった私立保育園が、近隣住民の「子供の声でうるさくなる」との反対を受け、開園を断念していたことが話題になっている。

待機児童問題が深刻化する中で、新しい保育園の建設を排除する動きと、それに園側が屈したというニュースは大きな反響を呼んでいるようで、世間では総じて住民側の態度に疑問を呈する声が大きいようだ。

反対住民はほとんどが高齢世代のようだが、自身が子供だった頃のこと、自身も子育てをしてきたこと、そして今は自身の孫が幼保園に通っている頃であろうことを考えると「お互い様」という謙虚な気持ちが生まれようものだが、さにあらず。「自分だけは静かな環境で過ごしたい」という我欲を貫き通し、何ら違法性のない健全施設を建設中止に追い込んだ。

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子育て経験のない私でさえ、子供たちの元気な遊び声は「心地よいBGM」だと思っているのだが、反対住民にとっては「迷惑な騒音」であり、自身も我が子をその「迷惑施設」に通わせていた過去については「それはそれ」というスタンスのようだ。

日本の未来を担う子供たちを育てる大切な施設(の建設)を潰したという事実は大きな批判の対象になったようで、ネット上では「保育園がダメなら、近々世話になるはずの葬儀屋を誘致してやれ」、「もはや糞尿痰しか生産しない老害は静かな姥捨山で暮らせ!」と容赦ない。

ともあれ、今回のような事例は他にもたくさんあるようだが、もはや「社会で子供を育てる」という意識は消滅しつつあるのかも知れない。そう、基本的に人間は「自己中心主義」を持つ唯一の動物なのだから…。

カテゴリ : 時事社会

傲慢すぎた「弱者ビジネス」

2016/03/24(木)



「交通弱者」という言葉がある。言わずもがな、(自転車も含めた)「歩行者」のことだが、これはあくまで物理的な力学上の話である。

例えば、歩行者の全面的な過失によって車両に轢かれた場合でも、日本では否応なく車両の方が刑事・民事・行政上の責任を問われるので、物理的な弱者は「歩行者」でも、法律的な弱者は「車両」ということになる。

同じ理屈で、身体あるいは知的障害者は「社会的弱者」と言われるが、障害を振りかざして「差別!」という言葉を発しただけで世間は萎縮し、その瞬間に「道徳的強者」へと変身する。そういう意味では健常者の方が「弱者」なのだ。

これを見事に利用・体現してきたのが、デビュー著書「五体不満足」で知られ、次期参院選では自民党公認での出馬が確定的と言われている乙武洋匡だ。

今年は、ベッキー・宮崎謙介・桂文枝・石井竜也など週刊誌報道による著名人の不倫騒動が後を絶たないが、今度は教師や教育委員という「聖職」も務めた乙武までもが不倫をスッパ抜かれ、しかも5人もの女性との関係を認めたというのだから、当然ながら世間は大騒ぎだ。

これで参院選出馬は微妙な状態となったとはいえ、素早く謝罪コメントを出し、あろうことか奥さんにも「自分も悪かった」と謝罪させるという奇策に打って出たことで、「ダメージを最小限に抑えて出馬に踏み切る」という向きもある。比例代表で出れば当選は自動的で、世間もすぐに忘れてくれるからだ。

本来は「不倫」という倫理上の問題であり、障害の有無とは全く無関係な話なのだが、メディアは関連団体からの抗議を恐れて、すぐに収束させることだろう。他の不倫タレントと「平等」に扱えばいいはずなのに、「障害者だから」批判はタブーなのだ。(これこそ、逆の意味での「差別」なのだが…)

しかし、彼の性豪ぶりや倫理観はともかくとして、総体的な人格を考えた場合、およそ「選良」には値しないと言わざるを得ない。

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著書の大ヒットにより富と名声を得た乙武は、その後の言動も注目される存在となり、今やツイッターのフォロワー数も80万を超える著名な「文化人」である。だが、いつしか彼は自身の成功に溺れるようになり、「障害」を武器にした傲慢な性格が見え隠れするようにもなった。

その代表例ともいえる事例が、2013年の「レストラン入店拒否騒動」だろう。エレベーターが止まらない2階の店を予約したものの、車椅子であることを事前に伝えていなかったため、当日の店側は介助を事実上拒否した。これに立腹した乙武がツイッターで店名を晒して批判した…というもの。

車椅子の客を「差別」するべきではないが、健常者とは違う配慮という意味で「区別」は必要になる。事前連絡のなかった車椅子を慣れない従業員が抱えて階段を上り、万が一にも転落事故が起きた時の店側の責任は計り知れない。

つまり、店側は「入店」を拒否したのではなく、責任の持てない「介助」を拒否したに過ぎない。しかし、これを「障害者差別」と受け止めた乙武は、自身の発言の影響力を知りながら小さな個人店の実名を晒し、糾弾した。これこそ「弱い者いじめ」である。

乙武は日頃から「障害は不便だけど、不幸ではない」などと繰り返して好感度を上げていったが、いざ今回のようなことがあると「俺を誰だと思ってるんだ!天下の障害者様だぞ!」とばかりに“弱者”を利用してきた。

つまり、彼にとって“障害”とは、人をひれ伏させる「印籠」であり、敵を大量殺戮できる「兵器」であり、カネを生む「商売道具」なのだ。

このような人格なので必然的に“アンチ”は増え、彼のツイッターは頻繁に炎上することになる。それに追い打ちをかける不倫スキャンダルとくれば、当然ながら「五人大満足」、「女体満足」、「妻だけじゃ不満足」「ゲスの極み乙武」などとネット上で容赦なく皮肉られるのは当然の帰結ともいえる。

日本のバリアフリーは決して「完備されている」とはいえない状況だが、それでもこの社会は障害者に配慮し、気を遣っているはずである。それを「当然の権利」と言わんばかりの唯我独尊な態度を、世間では「思い上がり」という。

この不倫騒動は、そんな人格の彼への「天誅」だったのかも知れないし、傲慢な「弱者ビジネス」も終焉の時を迎えた…ということなのかも知れない。

余談だが、例の「入店拒否」について乙武が綴ったブログ文章(体裁は謝罪文)を、謎の「赤ペン先生」が添削指導したことがネット上で再び話題になっているので、ここにも画像を転載してみる。

果たして、「大ベストセラー作家」でもある彼の文章力とは…?

(文中敬称略)


(全6枚、画像クリックで拡大)



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 山下 浩

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