
「
自動車」とはいうけれど、今や当たり前となったトランスミッションの自動化(オートマ)に始まり、最近のメーカーは自動アシストブレーキや踏み間違え衝突防止アシスト、さらに自動ハンドル、自動駐車、自動ハイビームなど、あらゆる運転操作を自動化し、子供でも運転できるような車づくりに力を注いでいる。
それどころか、一部の運転操作ではなく「運転そのもの」を自動化するのが最終目標とされる向きもあり、これではいつか免許制度自体がなくなり、車は子供のおもちゃになる時代が来ることだろう。
そんな折、国土交通省は各メーカーに対し、一定の暗さになるとヘッドライトが自動で点灯する「オートライト」機能の装備を義務づける方針を固めたという。
薄暮時の無灯火での事故が多い状況を踏まえた結論のようだが、先述のあらゆる自動化に通じる
行政やメーカーの本末転倒ぶりを象徴する政策である。
薄暗くなってもライトを点灯させないドライバーが多いのなら「強制的に点けさせよう」という安直な発想は「木を見て森を見ず」の典型で、
事故を減らす根本的な対策にはなっていない。
例えば、アクセルとブレーキの踏み間違え事故は国内で年間7千件もあるといわれるが、両ペダルは直感的かつ無意識に操作されなければならない(いちいち考えて操作するものではない)ので、これができなくなったドライバーは
「運転してはいけない」状態になったことになる。
ヘッドライトの点灯にしても然りで、薄暮時どころか夜間でも平然と無灯火で走っている車は頻繁に見かけるが、自車の前方が暗いことに気付かないドライバーは、もうその時点で運転する資格はない。免許を自主返上するか取り消し処分を受けるべきで、それだけで多くの事故を未然に防げることになる。
…と書くと、かなり過激な主張と感じられるかも知れないが、車の運転というものを軽く考えているドライバーがあまりにも多いのが実情で、それ以前に日本の免許取得制度自体も問題点だらけだ。
日本の免許取得にかかる費用の高さと時間の長さは世界一とも言われるが、形ばかりの路上教習はするものの、基本的には教習状内のコースを
「教わった通り」に運転できれば免許は取れてしまうのが実態だ。
本来は、刻々と変わり続ける実際の交通・道路状況に対応できる技能が備わらないと与えられるべきではない免許が、
どれほど資質のない者でも最終的にはほぼ間違いなく手にすることになり、
「走る凶器」の操作権を得てしまう。
そもそも、5年も10年も運転していないペーパードライバーが制度上の「優良運転者」とされる国だし、免許や車の周りには「利権」がごっそりとあるので、運転に必要な感性やセンスの有無に関係なく免許取得者は日々大量に生み出されている。
現在は自発光式メーターを採用している車も増えているが、基本的にポジション(スモール)ランプあるいはヘッドライトを点けないとメーターパネルは真っ暗なままだ。つまり、無灯火走行しているということはメーターを見ていないことになる。
メーターを見ないで運転をしているドライバーは、対向車が来ているのにハイビームを消し忘れたり、半ドアのままでも気付かずに運転している。いずれの場合もメーターにシグナルが出るので、普通は気付くものだ。
それ以外にも、直前に大きく右に膨らんでから左折するケース。これは内輪差によりリアタイヤが縁石などと接触するのを避けるため無意識に行ってしまうものだが、これは車両感覚の欠如であり、リアタイヤの軌跡をイメージできていないことによる。
さらには、サイドミラーを畳んだままのケース。これはもう論外で、「私は周りを全く見ていません」と言っているようなもので、そんなドライバーの9割が女性である。これは別に女性差別というわけではなく、累計36万キロを運転してきた経験に基づく事実である。
「1姫 2トラ 3ダンプ」という言葉をご存じだろうか。
「近づくべきではない危険な車」を揶揄している。
「1姫」は女性。一点集中で周りを見ないため。
「2トラ」は酔っぱらい。酔う=トラになるという言葉から。
「3ダンプ」は文字通り。積載状況によって制動力が変わるため。
この「1姫」については、性差で脳の働きが違うため責めることはできないのかも知れないが、少なくても車の運転に適した脳ではないようだ。
ともあれ、運転操作のミスによる事故が多いからその部分を自動化するのでは、必要な運転技術がますます衰退するだけである。そうではなく、運転に向かないドライバーを何とかするべきではないのか。ここを棚上げして国交省や警察庁が「事故減少」ばかり叫んだところで、何の解決にもならないだろうに…。