永遠も半ばを過ぎた

フリーデザイナー兼カメラマンの苦言・放言・一家言

新型コロナの死亡率を出してみた

2020/04/02(木)



1月中旬頃から始まった新型コロナ狂騒曲は4月になってますますエスカレートしており、メディアはこぞって「医療崩壊だ」「緊急事態宣言だ」「首都封鎖だ」などと国民の不安を煽っている。日々の感染確認者数と共に発表される「累計」数ばかりが強調され、無症状や軽症のまま退院した患者数は事実上、黙殺されている。メディアによる巧みな印象操作により国民は他人に対して疑心暗鬼になり、ただでさえ殺伐としている世の中が一層、醜悪になってきているようだ。

欧米などの諸外国に比べれば、日本の感染者数の累計グラフは緩やかなカーブで、感染症の流行としては理想的な推移を辿っていると思われるが、一方で「日本はPCR検査数が圧倒的に少ないから感染者数も比例して少ないだけ」との指摘もある。つまり「無自覚・無症状の陽性者を発見できていない」ということになり、ゆえに「日本は感染者数が少ない」という意見は参考にならないという理屈である。

確かにその通りなのだろう。ならば「死者数」はどうだろう。感染者数は意図的に検査数を抑えるだけで数値を少なくできるが、死亡する感染者はまず発症し、重症→重篤→死亡という道を辿るため自ずと病院の世話になり、治療の過程で新型コロナの疑いがあればPCR検査をするだろうから「新型コロナによる死者数」は誤魔化しようがないはずだ。

そこで、(仕事がヒマなので)死亡者が出ている都道府県の人口を元に、新型コロナの「感染死の確率」を計算してみた。また、比較参考用として世界各国の感染死率と、国内における「他の死因」との比率も比較した。

主な集計結果(抜粋)は以下の通り。(比率は全て人口比)

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  ◇   ◇   ◇

【簡易解説】表①(都道府県別)
現在、感染者数の増加ペースが著しい東京を見ると、死者数は16人で、比率は人口の約0.0001%、約87万人に一人という割合だ。

【簡易解説】表②(国別)
(本当は中国だとは思うが…)世界で最も死者数が多いのがイタリアで12,428人、人口の約0.02%で4,862人に一人である。一方の日本は全体で69人の0.00005%、約182万人に一人となった。

【簡易解説】表③(国内の死因別)
国内の1年間(2018年)で最も多い死因の「がん」が38万人超で人口の約0.3%。対して「新型コロナ」は集計期間がまだ2ヶ月半程度なので、69名を仮に1年分として30倍で見積もったとして2,070人、それでも「貧血死」より少ないどころか、治療薬やワクチンが確立されているはずのインフルエンザをも下回る。だが「毎年のことだから」とインフルの流行を騒ぐメディアはなく、国民もまるで無関心なのだから呆れた話だ。

あくまで「4月1日現在の死亡者数」という前提だが、これらのデータを見る限り、メディアの騒ぎ方は少し異常ではないのか。以前から「ピークはまだ先」と言っており、日ごとに感染者の数値が増え続けるのは分かっていたこと。今の段階でこれだけ騒がれると、ピークを迎える頃にはどんな状態になっているのやら…。

もちろん、私は感染症については全く素人なので、医師や専門家らの「警鐘」を真っ向から否定する知識も見識もない。だが、日本は春節の中国人観光客をを受け入れたばかりに早い段階からウイルスを大量上陸させてしまったにも関わらず、米国や欧州各国に比べてはるかに「死亡者数」を抑えているのは事実だ。

それなのに政府やメディアは「医療崩壊は近い」と断じている。少なくても数字上の感染者が圧倒的に少ない現状で、「感染症」という特殊事情があるとはいえ日本の医療体制はそれほど脆弱なのだろうか。PCR検査で陽性と出てしまえば、約8割といわれる無症状・軽症者も一律に隔離入院させる今の体制を改善すれば何とかなる話ではないのか…。

確かに、イタリアの数字を見ると「惨劇」と言える状態であり、「イタリアのようになる前に予防措置を」という考え方も理解できるのだが、国民を落ち着かせる役割のはずのメディアがいちばんパニクっており、必然的に国民もおかしくなってきている。

サージカルマスクなどできちんと防護しているはずの医療従事者も次々と感染しているのだ。ある程度の流行・蔓延は不可避なのだから「なるようにしかならない」という一定の開き直りも必要ではないのか。もちろん、外出自粛が叫ばれる中で「遠慮せずに遊びに行け」という意味ではないのだが、国民全体が精神的に壊れていく方がウイルスよりよほど怖いわ…。

カテゴリ : 時事社会

上っ面だけの「オリ・パラ平等」

2020/04/01(水)


2013年9月にオリンピックの第32回夏季大会の開催地が東京に決定して以来、テレビのニュース番組や新聞あるいは政治家の発言でこのイベントに触れる際、ある一貫性があることにお気付きだろうか。

「東京オリンピック・パラリンピック」(口述時)
「東京五輪・パラ」(活字、字幕スーパー等)

そう、「パラリンピックもちゃんと平等に扱ってまーす」とアピールする表現である。では、例えば直近の2大会でもご丁寧に「リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック」と言ったり「平昌五輪・パラ」と表記していたアナウンサーや新聞はどれだけあっただろうか。

今回は自国開催という理由もあるのだろうが、表現上では両者を平等にしているつもりでも「気持ちは“オリンピック”にしかない」ことが随所に透けて見えている。

いちばん顕著なのはテレビ(特に民放)だろう。昨日付のネットニュースに、大会の1年延期の影響として以下のような記述があった。

テレビ各局が東京五輪に向けて用意していた“特番”がすべて白紙に。7月22日から8月9日までの2週間、ポッカリと空いた番組枠を埋めるため、各局では早急な対策が取られている様子。
(週刊女性PRIME 2020.03.31)


太字で示しているように、民放各局が中継放映枠を確補していたのは7月22日から8月9日までの2週間という“オリンピック期間のみ”であり、つまり「パラリンピックを放映する気など毛頭ない」のだ。

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(以下、一部でオリンピック=オリ、パラリンピック=パラ)

では、民放局はなぜパラを扱わないのだろうか。それは言わずもがな「視聴率が取れない」ためで、つまり国民全体が障害者スポーツに興味がないのである。過去の大会において、各競技で活躍した多くの選手をメディアは「国民的ヒーロー」として祭り上げてきたが、そのほぼ全員がオリ選手であり、パラ選手では見たためしがない。

このように、メディアの言動で本心は「パラには興味がない」ことがよく分かるのだが、ではなぜ「東京オリンピック・パラリンピック」と長ったらしい言い方を繰り返すのだろうか。これも言わずもがな「障害者団体や一部の国民からのクレーム回避」に他ならない。

政治もメディアもとにかく「差別」という言葉には過敏だ。日本には在日朝鮮人や被差別部落、あるいはアイヌといった差別問題は数多あるが、「障害者差別」もその一端で、これは日本に限らず忌避されている。

国民がパラリンピックを見たがらないのは、障害者に対する差別意識からなのか、あるいは障害者を「見世物」としていることへの嫌悪感からなのか…。何にせよ、健常者と全く同じ目線では見ていないはずである。

毎夏、日本テレビで放映している「24時間テレビ」は、障害者を「お涙頂戴」仕立てにすることによって視聴者から多額の募金を集める一方で、チャリティ番組なのに出演者には高額なギャラを支払うという姿勢に批判の声は多い。それに、あえて障害者を引っ張り出し、美談を作ることによって社会的使命を果たしていると思わせる手法は、商業的には成功していても完全な「障害者ビジネス」である。

さすがにパラリンピックを利用してそのようなビジネス展開をするわけにもいかず、だからといってパラ大会を中継したところで誰も観ないのであれば、手間も予算もかからない過去の人気ドラマの再放送でもした方がマシなのだろう。

そう公言せずとも、編集権は局側にあるのでパラを放映するしないの判断は自由だ。しかし、大会を表現する時に上っ面だけ「パラリンピック」という単語をセットにして差別批判を回避しようとする思考にメディアの姑息さを感じているのは、私だけだろうか…。

カテゴリ : 報道誹議

手抜きメディアの「互いのふんどし」

2020/03/29(日)



「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」という有名な言葉がある。その意味は言うまでもなく「他人のものを利用したり、他人に便乗したりして自分の利益にすること」だ。

あるネットニュースを読んでいると、ページの下段に「おおすめ」やら「関連」という名目で様々なニュースのタイトルが列挙される場合があるが、その多くがテレビやツイッターで芸能人が発言したことをそのまま簡略的に伝えるだけという、ネット版メディアによる「素人記事」である。

例えば、スポーツ報知の本日14:23配信の記事は、こんな具合だ。

和田アキ子、志村けんの新型コロナ感染で「変なデマが流れていて、延命治療という人が…」

 29日放送のTBS系「アッコにおまかせ!」(日曜・前11時45分)では、新型コロナウイルスの感染拡大について特集した。スタジオではタレントの志村けんが新型コロナに感染していたことを伝えた。
 志村が人工心肺で治療をしているという報道があり、司会の和田アキ子(69)は「変なデマが流れていて、私のところには延命治療だっていう人がいるんですよ」と話した。
 これに解説で出演していた北村義浩氏は「とんでもないですね。治ってバカ殿とかやるために」と否定すると、和田ら出演陣は安堵(あんど)していた。


単にテレビを観て、出演者の部分的なやり取りを切り取って書くだけで記事は「一丁上がり」である。しかも、それが国民に伝えるべき内容というわけでもなく、どうでもいい井戸端会議である。この手法の元ネタはテレビに限らず、各種のSNSも同様で「○○が、ツイッターにこんなことを書いた」などと報告を書くだけの、中学生でもできるような作業である。

ウェブ版には「紙面」という制約がないためネタの取捨選択が必要ない「書き放題」であり、また、たとえ粗末なものでも記事は記事、タイトルで興味を惹かせて誘導しPV(ページビュー)を稼ぐという目的もあるのだろうが、その姑息な姿勢に報道機関としての矜持は微塵も感じない。

そして、引用されるテレビの側も負けていない。特に「なんちゃってニュース番組」のようなバラエティ番組では、新聞記事をそのまま拡大してパネルに貼り、記事の引用部に赤線を引き、読み上げるだけというパターンが多い。

いずれのケースも、「経費」「時間」「記者の力量」が必要になる独自取材は徹底的に避け、安易な「パクリネタ」で済まそうとする意図が透けて見える。いわば「互いのふんどしで相撲を取り合っている」状態だ。

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ただでさえ日本のメディアは、記者会見やプレスリリースなどの内容をそのまま報じる「発表報道」が圧倒的で、独自の視点や取材による「調査報道」ができない(したくない)のだが、あろうことかテレビやSNSなど誰もがアクセスできる媒体での井戸端会議をそのまま引用して済ませるケースがあまりにも多く、そんなものは報道でも何でもない。

プロの報道機関なら、記者発表や芸能人の戯れ言に頼るのではなく、国民に対して本当に伝えなければならないことをあぶり出し、プロにしかできない切り口や手法で取材してこそ、国民の知る権利に資することになる。

そういう意味では、いわゆるマスメディアの中では格下に扱われている「雑誌」(報道系)がいちばん“独自取材”という報道機関らしい仕事をしているという事実を、テレビや新聞などの自称「格上メディア」やスポーツ新聞のウェブ編集者には自覚してほしいものだ。

カテゴリ : 報道誹議

やはり呪われていた「日本の五輪」

2020/03/25(水)



去る18日、麻生太郎副総理兼財務相は新型コロナの感染拡大で東京五輪の延期や中止が懸念されていたことに関連し、過去には40年周期で日本の五輪関係に問題が起きているとして「呪われたオリンピック」と表現したため、例によってメディアが食いつき大きく取り上げて大バッシングを展開していた。

歯に衣着せぬ発言で知られる麻生氏なので、いつも虎視眈々と「失言」を狙っていた記者連中はさぞ大喜びだったろう。ところで、過去の五輪に関して、日本に何があったのだろう。

・1940年〔東京〕→ 開催権返上(戦争)
・1940年〔札幌〕→ 中止(戦争)
・1980年〔モスクワ〕→ 参加辞退(ソ連情勢で米に追従)
・2020年〔東京〕→ 翌年延期(疫病)


1940年当時の五輪は夏・冬同年開催だったため重複しているが、確かに40年周期で何らかの「異常事態」が起きており、その符合から「まるで呪われているようだ」と感じるのは不自然なことではないだろう。

麻生氏のこの発言時にはまだ「東京五輪の開催の行方は?」という段階だったが、莫大な利権を手にしている利害関係者にとっては「開催強行」しか選択肢はなかったようで、中止や延期論を否定し続けていた。

ところが、12日にアメリカのトランプ大統領が記者団に「1年延期」を提言したのを皮切りに、カナダのオリ・パラ委員会には「今年の開催強行なら選手団を派遣しない」との声明を出されるなど、徐々に外堀を埋められて身動きが取れなくなった昨日、ついに安倍首相とIOCのバッハ会長との間に「1年程度の延期」が合意され、正式に発表された。

私は常々、日本(のメディア)における五輪の「お祭り騒ぎを通り越したバカ騒ぎ」に辟易していることは過去の記事で書いたが、そのせいで東京五輪も招致運動時から国民の一人としては反対の立場だった。

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そもそも、五輪の開催単位は「国」ではなく「都市」のはずなのに、なぜか国家(政府)が深く介入して「五輪担当大臣」なるポストまで創設するほどの入れ込みようだ。また、「暑さ対策」という理由でマラソンや競歩の会場が(無理やり)札幌へ変更されるなどもあり、「東京五輪」ならぬ「ニッポン五輪」の様相を呈していた。

招致段階では約8,000億程度のはずだった大会予算はなぜか3兆円にまで膨れ上がり、その内の少なくても8,700億円超もの国税が湯水のごとく使われてきた。そして、この度の延期によって国民は更なる負担を強要される一方、利害関係者の間ではさらなる利権の取り合いやマネーゲームが繰り広げられ続けることになる。

思い起こせば、2015年に発表された大会公式エンブレムがベルギーのデザイナーに「自作のデザインを盗まれた」と訴訟を起こされてデザインを再募集するハメになったり、新国立競技場のデザインが国際コンペによって選出されたものの建設費が当初予算の2倍に膨れ上がったため、これもデザイン変更を余儀なくされたりと、東京五輪はこの頃からミソがつき始めていた。

今後、新型コロナの影響で企業倒産や失業者が続出し、つまり日本経済がかつてないほどの恐慌を迎えるのは必至で、新型コロナによる死者数より「違う理由で死ぬ人間」の数の方が上回る可能性もある。そんな中で開催される延期五輪で、メディアはまた「五輪で日本を元気に!」などという情緒的なスローガンでバカ騒ぎするのだろうが、国民全体が本当の意味で元気になるとは到底思えない。

東京都・政府・組織委員会・大会スポンサー、果ては五輪特需でひと儲けを企む商売人など、欲にまみれた「自分ファースト」な連中が推し進める「平和の祭典」に、果たして未来や希望はあるのだろうか。

やはり「呪われた五輪」だなこりゃ…。


カテゴリ : 時事社会

英語が「オーバーシュート」してる件

2020/03/24(火)



連日の新型コロナに関する報道を見ながら、何とも言えない“違和感”を感じていた向きは少なくないだろう。政府や専門家が記者会見する度に連発している「英語」である。思いつくだけでも以下の言葉が踊っている。

・パンデミック(世界的大流行)
・クラスター(小規模集団感染)
・オーバーシュート(爆発的感染)
・ロックダウン(封鎖)
・エビデンス(根拠、証拠)
・フェーズ(段階)


その言葉自体が固有名詞だったり、他に意味する日本語がないなら話は別だが、日本国民に対する発表の言葉にしてはいささか乱用しすぎであり、特に高齢者はさぞ理解しにくいことだろう。

そして本日、河野太郎防衛相がツイッターで、その風潮に疑問を呈した。「クラスターは集団感染、オーバーシュートは感染爆発、ロックダウンは都市封鎖ではダメなのか。なんでカタカナ?」と…。

政府も専門家会議も「命に係わる話」をするからには国民の誰もがすぐに理解できる言葉を使うべきなのに、こぞって難解な英語を使いたがり、あろうことかメディアもそれに飛びつき、そのまま引用している。

専門家同士の会議の場でなら、話が通じやすい「業界用語」として自由に使えばいいが、こと決議を国民に向けて発表する際には、万人に分かりやすい言葉で話さなければ意味がないだろう。

ところで、「アウフヘーベン(持ち上げる)」「ワイズ・スペンディング(賢い支出)」「アンシャン・レジーム(古い体制)」など「独りよがりなカタカナ語の乱用」で有名な東京都の小池百合知事は本日の記者会見で、感染拡大による東京都の封鎖の可能性について、次のように話した。

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「事態の今後の推移によっては、都市の封鎖、いわゆるロックダウンなど強力な措置を取らざるを得ない状況が出てくる可能性がある」

日本語としておかしい部分が1ヶ所あるのだが、お分かりだろうか。
そう、【いわゆる】の使い方である。

この言葉は「世に言われる」「俗に言う」「言わば」などの意味として使われる。つまり、「いわゆる」の後に来る方が一般的に認知・理解されている言葉でなければならないため、この場合には「ロックダウン、いわば都市の封鎖」とするのが正しい日本語文法だ。

この時は自身の言葉ではなく、役人が作ったであろうペーパーを読み上げていただけだったが、それでも下読みの段階でも間違いに気付かなかったのか、あるいはそれで正しいと思っていたのか…。何にせよ、日本の首都の長として発信する立場にありながら正しい日本語も使えず、難解な外来語を多用する姿は滑稽でしかない。

英語を使えば権威づくと思っているのかも知れないが、国民にメッセージを伝える立場の人間は、もっと「理解してもらう」という謙虚な姿勢を見せるべきだろう。小池知事に限った話ではないが、無意識に主権者である国民を「庶民」と見下す勘違い公職者が多すぎる。

政府・専門家・メディアなど新型コロナに関する発信者は、正しい情報を「分かりやすい言葉で」伝えるよう努めてほしいものだ。

カテゴリ : 時事社会

「マスク姿で行楽」の衆愚

2020/03/23(月)



「感染はイヤだけど自粛も疲れた。遊びに行こー!」というところか…。

この3連休、全国で人がどっと押し寄せた行楽地が少なくなかったそうだ。政府や自治体が人混みへの外出自粛要請を解除したわけでもないのだが、いかんせん「命令」ではなく「要請」に過ぎないので、ストレス発散とばかりに繰り出したのだろう。

個人的に、あまりに行き過ぎた自粛は精神的にも日本の経済にも良くないので外出は「悪ではない」とは思うのだが、テレビニュースが流していた行楽地(人手)の映像を観て異様に感じたのは「猫も杓子もマスク」という光景だ。

この新型コロナ騒動が起きる以前から、病気でもない日本人の高マスク率(花粉症予防を除く)には不思議な思いを抱いていたのだが、今回の騒動でも国民の不安を煽りたいメディアが執拗に「マスク不足」を誇大連呼し、あたかも「マスクしない人は全員感染して死ぬ」とばかりの恐怖心を植え付け、全国的な品切れやネットでの高額転売を引き起こした。

WHO(世界保健機関)は2月下旬、新型コロナウイルスの感染予防に向けたマスクなどの適切な使い方の指針として「咳やくしゃみといった症状がない人は、予防目的で学校・駅・商業施設など公共の場でマスクを着用する必要はない」との声明を出している。

また、厚生労働省も「症状のある人は、咳・くしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために不織布マスクを積極的に着用すること(咳エチケット)が推奨されるが、感染していない健康な人が不織布マスクを着用することで飛沫を完全に防ぐことはできない」(要旨)としている。

一般的に、不織布マスクの繊維の隙間は約5µm(マイクロメートル)と言われるが、花粉の大きさが約30µmなのに対し、各種ウイルスは0.1µm前後、飛沫核(飛沫の水分が飛んだウイルス)が3µm前後だという。つまり、花粉症予防には効果があるが、こと新型コロナに関しては「しないよりはマシ」という程度の気休めグッズでしかない。

ただし、こう書くと次のような反論が帰ってくるだろう。

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「自分が感染していて(無症状や潜伏期間)、他人にウイルスを移す可能性があるからマスクをしているのだ」と…。

理屈としてはその通りなのだが、本当に「自分が感染しているかも」などと思っているのだろうか。いや、意識的に「自分だけは大丈夫」と言い聞かせてはいるはずだ。医者に「がん宣告」をされたら平常心ではいられないのと一緒で、「感染=死ぬかも」と考えたら、とても行楽地になど出かける心境にはなれないはずだ。

つまり、マスクをつけてでも遊びに出かけるのは、まだ自分は感染していないということを前提に「マスクをしているから移されない」という誤った安心感か、あるいは「みんなマスクだから自分も」という右へならえの国民性ゆえか…。

連日、各自治体から感染者数が発表されているが、その中で常にマスクを着用していた患者の数は決して知らされないのはなぜなのか。また、N95などのサージカルマスクを常に着用しているはずの医療関係者にも多数の感染者が出ている現実を、どう理解すべきなのだう。

本当にマスクで感染拡大を防げるのなら、全国民に強制的なマスク着用命令を出せば万事解決のはずだ。政府や多くの自治体が「外出自粛」を要請はしているが、生産体制という問題があるにせよ「マスクを着用せよ」と呼びかける例は皆無に近い。なぜなら、マスクは何の役にも立たないことを分かっているからで、外出自粛で経済が停滞することは承知の上で、それ以外に方法がないという意味に他ならない。

ドラッグストアなどの小売店では開店前から行列ができ、開店後すぐにマスクが売り切れる状況は相変わらず続いているようだ。購入者のほとんどの目的が「念のため」程度にも関わらず「自分さえよければいい」という発想(→ 一例)で、それによりコロナではない病気(インフルや喘息など)で本当に必要な人には行き渡っていないケースも多いという。

本気で感染する(させる)ことを恐れているなら、ウイルスが素通りする不織布マスクなどではなくガスマスクの購入をお勧めする。

カテゴリ : 時事社会

やはり報われない「プロ免許」

2020/03/18(水)


昨日の北海道新聞に「観光バス運転手 解雇相次ぐ」という主題の記事。リード部分は以下のように書かれている。

新型コロナウイルスの感染拡大で観光客が激減する中、道内の観光バス会社で運転手の解雇が相次いでいる。

インバウンド(外国人観光客)の急増を背景にした運転手不足から一転、解雇に踏み切った会社は「業績の回復が見通せず、苦渋の選択だった」と苦しい胸の内を明かす。

北海道バス協会によると、観光バス業界の損失は胆振東部地震の際の9億円に迫る見通し。政府は緊急対策を打ち出したが、解雇の歯止めになっていない。


貸切(観光)バスの運転手は、運転免許の中でも最も難関な「大型二種」という国家資格を持ち、降雪地帯では頻繁に「氷の峠越え」もしながら数十人もの「人命」を預かる責任を負わされるのに、観光客減少で数ヶ月の売上が見込めなくなった途端、こうして案の定の仕打ちである。

貸切バス運転手がいかに過酷な条件下で働いているかは過去のエントリで詳しく書いているが、必要な技術や責任の重さに対して正当な報酬を得られない代表的な職種であろう。

そういう現実を知らず、拙い発想と分析によって免許制度(道路交通法)を改正しようとしている警察庁の「お役所仕事」を思い出した。

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この改正案は、バスやタクシーの運転に必要な二種免許の受験資格について、これまでの年齢要件を「21歳以上」から「19歳以上」に、経験年数要件を普通免許保有「3年以上」から「1年以上」にするというもので、二種の他に中・大型免許の取得についても同様に緩和する。

今日現在、今国会でまさに審議中なのだが、他にも「あおり運転に対する罰則強化」もセットの法案なので、おそらく全会一致で可決成立するのは確実だろう。

警察庁がなぜ免許制度の改正(条件緩和)に踏み切ったのかというと、バス・トラック等の運輸業界から「二種や大型の免許取得年齢に達していないため、若い従業員(18~20歳)を採用できない」という声が上がっていたためらしい。つまり、18歳で普通免許を取っても、現行法では21歳になるまで免許のステップアップができないため、その年代は雇えないという主張だ。

18~20歳ということは高卒者をターゲットにしていると思われるが、普通免許保有1年以上とは、つまり「初心者期間終了後」である。運転手としてはもちろん、社会人としてもまだまだ未熟な時期から数十人の人命を預かるバスや10トン超の貨物を積載するトラックを運転させること自体に無理がある。

そもそも「若者の免許・クルマ離れ」が言われている中、この条件緩和によって20歳前後の若者がどれほど二種や大型免許の取得に動く(つまり運輸業界の「運転手」を目指す)のか、はなはだ疑問である。

何でもネットで調べることができるこのご時世、運輸業界の下請け構造やダンピングによって末端の運転手がどのような待遇で働かされているかなどすぐに分かる。まして大きな事故など起こそうものなら、個人の財産である免許を失うばかりか、場合によっては未成年にして刑務所送りになる可能性もあるのだ。

このような「ハイリスク・ローリターン」な職種を、社会人1年生の時期から選ぶ若者が多いとはとても思えない。

普通免許人口の保有年数の比率は、3年未満より3年以上の者が圧倒的に多いのは明白だが、では今までも3年経過した者が「待ってました」とばかりに二種や大型免許を取るべく教習所に殺到していたのだろうか。そうではないから慢性的に人手不足なのだろう。

安易に法改正を求める前に、業界や経営者として先にやるべきことがあるのではないのか。特に貸切バス運転手は、求められる技術や責任の大きさに比べて待遇があまりにも悪すぎるうえ、今回のように1~2ヶ月程度の受注減で簡単に解雇されるようでは、どれほど免許取得条件を緩和したところで何の意味もない。

いつか新型コロナが終息して観光客が戻ってきたとしても時すでに遅し、解雇された運転手は戻ってこないだろうし、現状の待遇のままではこの道を目指す者も多くはないだろう。

やはり、大型二種は「報われないプロ免許」である。

カテゴリ : 経済産業

きな臭い 孫正義の「善行」

2020/03/15(日)
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去る11日、ソフトバンクグループの会長である孫正義がツイッターに「新型コロナウイルスに不安のある方々に、簡易PCR検査の機械を無償で提供したい。まずは100万人分。申し込み方法等、これから準備」と投稿したところ、これに批判が殺到したために前言撤回、「マスク100万枚の寄付」に変更したという。

批判の多くは「やみくもな検査によって軽症者も病院に殺到する」「韓国とイタリアで徹底検査して医療崩壊している現実を知らないのか」というものだ。

この新型コロナ騒動に関しては、テレビによく出ている「専門家」の意見も各人各様で、もはや何が正解なのか事実なのかも分からないカオスな状態になっているが、少なくても医療や感染症に関してはド素人の御仁が誰に相談することなく行うパフォーマンスとしては、いささか軽率で度が過ぎたようだ。

思い起こせば、孫正義は9年前の東日本大震災の発生時にも「100億円を寄付します!」とブチ上げて注目を浴びたものの、それから2ヶ月が過ぎても寄付の事実が確認されないため「本当に寄付したのか?」と疑問の声が巷に流れるようになった。

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そんな折に発表されたのが「公益法人『東日本大震災復興支援財団』に40億円を寄付し、残りを赤十字や各自治体に配布する」というものだった。だが、この財団の理事(当時)には孫正義自身を筆頭に、自身と関係が近い政界関係者やソフトバンクグループの幹部がずらりと名を連ねていたが、組織の活動目的は不明で、復興支援に動いたという具体的な事実も確認されなかったという。

つまり、寄付すると公言していた100億のうち、40億は事実上「自分に寄付した」ようなものだ。まぁ各種の税金対策という目的もあったのだろうが、それにしてもやり方が姑息である。

とはいえ、60億円分は実際に自治体等へ寄付したようなので本来は称えられるべきなのだろうが、だったら寄付額を「100億」ではなく、最初から「60億」と言うべきだった。今回のPCR検査やマスクの件も然りだが、孫正義はよほど「100」という数字が好きなのだろう。

ところで、世界の至るところで発生する災害等によって世間の注目が集まっている時、世の著名人たちはなぜ「寄付の事実や金額」を発表するのだろうか。寄付行為は紛れもないい善行ではあるのだが、それをことさらに公表することに違和感を感じる向きは少なくないだろう。

孫正義も、件の「100億円寄付」の発表の際に「最初は黙して行うことを考えたが、有言実行に切り替えた」と語っていたが、これ自体も、わざわざ恩着せがましく言うことではないだろう。

一般市民で例えるなら、物乞いに千円札1枚を差し出す姿を自撮りし、SNSで「今日、乞食に千円も恵んでやりましたーっ!」と自慢げに語るようなものだ。

昨今は「インスタ映え」なる言葉が流行し、他人から「いいね!」をもらうため常に「どこかに行って、何かをしなければ」という強迫観念を抱く風潮がある。著名人なら特にその傾向は強く、自身の生活が脅かされない程度の金額を寄付・発表して世間の注目を浴びることで承認欲求を満たしたいのだろう。

欧米では、富裕層の多くは「寄付は当然」という意識を持ってそれを実行しているが、いちいちその事実を公表しない。なぜなら、公表した瞬間にその善意が「偽善に変わる」ことを分かっているからだ。

一方、「しない善より、する偽善」という言葉がある。たとえ偽善でも、しないよりはマシという意味だが、寄付金を受ける側にとっては、たとえ偽善だとしてもありがたいものだろうが、「感謝しろよ」と言わんばかりの公表寄付より、見返りを求めない匿名寄付の方がよほど善意を感じるし、謝意は大きいはずだ。

特に日本人は慣習として、人から何かを贈られた場合に「お返し」を考える。少なくても寄付に対してはその必要はないのだが、寄付者が誰なのか分かってしまうと、受ける方はずっとプレッシャーを持ち続けることになる。本来、善行とは人知れず行うものであり、それを自ら吹聴するものではない。

孫正義が率いるソフトバンクグループは、昨年秋頃から深刻な株価下落の一途を辿り続けており、そんなタイミングでの新型コロナ騒動である。突然、約3年も放置していたツイッターを更新して「PCR検査100万人プラン」をブチ上げることによって、文字通り「株を上げる」つもりだったのだろうか…(笑)

一般には「カリスマ経営者」と言われることの多い孫正義だが、人望がないため経済界の中では孤立しているという。9年前の件といい、国民の混乱に乗じて「施し」を与え、それを誇らしげに公表するという自己顕示欲の強さが「本当のカリスマ」になれない要因のひとつなのかも…。


(文中敬称略)




カテゴリ : 時事社会

甘ったれるなフリーランス

2020/03/13(金)
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実に3年8ヶ月ぶりの更新だが、どうもお久しぶりです。
(もう読者もいなくなったと思うが…笑)

さて、1月から話題になり始めた新型コロナ騒動で、今や一億総パニック状態に陥っている我が国だが、ここに至っては世界中で「新型コロナ狂騒曲」が繰り広げられている模様である。

新型コロナは未知のウイルスとはいえ、現時点の統計では約8割超の感染者が無症状または軽症で済み、その症状も「ウイルス性の風邪」の域を出ないものなのだが、まるでペストやマラリアのごとく「感染したら人生終了」のようなイメージになってしまっている。

なるほど、テレビのワイドショーなどを観ると「専門家」たちはここぞとばかりに論拠の希薄な持論を展開し(しかも人によって意見の方向性が正反対)、そして「コメンテーター」として登場するお笑い芸人やタレントたちはその専門家に同調するように、したり顔で知ったかぶりのコメントを垂れ流している。

連日、累計の感染者数だけを積み上げるだけで、回復・退院者の数はほとんど出さないメディアの扇動報道を鵜呑みにする国民が多いんだろうなぁと思いつつ、他人事ではない「あるテーマ」に関するニュースが気になったので一言。

それは、学校の一斉休校によって子供の世話を余儀なくされ、出勤できなくなった労働者がいる企業への休業補償(一人あたり1日8,330円)に関連し、フリーランスに対する補償額(同4,100円)への不平不満が噴出しているとの記事だ。(本文最下欄に記事全文)

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「フリーランス」とは、特定の企業や組織などに雇われる「雇用契約」ではなく、「業務(委託)契約」によって自らの技能や知識をクライアントに売る個人事業主のことで、かくいう私もフリーランスの一人である。

守ってくれる組織がなく、明日の仕事の保証もないフリーランスだが、月々の収入に限度がある会社員とは違い、能力や努力によっては青天井の収入が得られるのもまたフリーランスである。私たちはそういう特性を理解し、リスクも覚悟したうえで開業したはずである。

フリーランスが外的要因によって仕事を減らしたり無くなったりするのは今回の騒動に限ったことではないのだが、特定野党やメディアの執拗な「政府叩き」に乗じて「俺にも補償しろ」だの「これでは安すぎる」だのと文句を言うのはお門違いも甚だしい。

それに、今回の政府の補償はあくまで「一斉休校に伴う措置」で、一人では留守番ができない低学年の子供を持つ保護者が対象なのだが、政府の要請に伴う各種の「自粛」等が原因で仕事が無くなった分も補償されると勘違いしているフリーランスのなんと多いことか…。

ともあれ、誰に命令されたからではなく、自らの意思でフリーランスという生き方を選んだはずである。仕事のキャンセルや収入減少を国のせいにしているヒマがあったら、めげずに営業するなり、とりあえずは日雇いのアルバイトでもして食いつなぐなどの努力はできないのだろうか。少なくても「副業禁止」という制約はないのだから…。

もっと辛辣に言えば、国に補償してほしいと言っている時点で「私は当面をしのぐ貯金すらない、仕事のできない人間です」と公言しているようなもので、これではフリーランス全体の印象が悪くなるだけである。

観光客の減少や過度な自粛による原因売上減を理由に突然解雇されてしまったり、資金繰りに窮して廃業・倒産する企業は今後どっと出てくることだろう。それはつまり、フリーランスではとても及ばないほどの莫大な債務と責任を背負う経営者が続出するということだ。

多くの産業が深刻なダメージを受けている中で「木を見て森を見ず」がごとく自分の損失だけを声高に叫ぶのではなく、私自身も含め、フリーランスはもう少し冷静に思慮・行動すべきだろう。


休業補償 フリーランスに不公平感 新型コロナ 対象限定 少ない日額

政府が新型コロナウイルス感染症対策として緊急対策第2弾に盛り込んだ休業補償を巡り、フリーランスで働く人から不安や困惑の声が上がっている。対象が、企業から業務委託を受けて働いており、休校中の子どもの世話で休んだ人に限られているほか、1日4,100円に設定された金額の根拠もあいまいなためだ。鳥取県は支援対象を広げるため、独自に個人事業主に助成する取り組みを始める。
(田口博久、野呂有里、斉藤千絵)

「日額4,100円ではとても足りない。制度の中身もよく分からない」。企業広告などを扱う札幌市中央区のフリーライターの男性(47)はこう話す。3月に入り、契約先との面談や委託業務が相次ぎキャンセルとなった。共働きの妻と交代で小学4年生の長女と自宅で過ごさなければならず、生活に不安を募らせる。

厚生労働省は4,100円の根拠を「東京都の最低賃金1,013円を基に、フリーランスの就労時間が4時間と仮定して算出した」とする。ただ、会社勤めの保護者は日額上限8,330円が企業に助成され、大きく見劣りする。

厚労省は「制度を作るには一定の線引きが必要だ」と釈明するが、不透明感は拭いきれない。

支援対象から漏れる人もいる。札幌市手稲区の新岡唯さん(31)はフリーランスの個人事業主として、3歳の息子を保育園に通わせながら企業の採用支援や人材育成を手掛ける。先月以降、業務委託の仕事3、4件がキャンセルとなり、損失は10万円以上になった。

しかし今回、国が支援するのは、学校の臨時休校に伴い子どもの世話をするために仕事を休んだ人だけだ。新岡さんは「子どもが小中学生かどうかで対象の可否が変わるのは不平等ではないか」と首をかしげる。

各種イベントは政府の自粛要請に応じて中止されているにもかかわらず、対象外だ。日本俳優連合などは12日、東京都内で記者会見し、フリーランスとして働く芸能従事者への所得補償を政府に求めた。

池水通洋専務理事は「公演キャンセルが相次いでおり、劇団員らが無収入になっている」。同席した落語芸術協会の田沢祐一事務局長も「若い落語家が生活していけない」と窮状を訴えた。

一方、鳥取県は11日、業務委託ではない人を対象に国と同額の1日4,100円を補償する独自の支援策を発表した。子どもの休校で仕事を休んでいるという条件は国と同じだが、個人タクシーの運転手や個人商店主、飲食店主らを想定する。県商工政策課は「地方と大都市圏は働き方も異なる。きちんと支援の網を掛けていきたい」と説明している。

 (北海道新聞 2020.03.13)


カテゴリ : 時事社会

参院選総括

2016/07/11(月)


第24回参議院通常選挙が昨日、投開票された。
今回は4つのテーマを設け、自分なりの総評を書いてみたい。

■全体情勢

各メディアの事前予測どおり、自民・公明・お維新・こころのいわゆる「改憲4党」で3分の2を占める圧勝となり、自ずと民進・共産・社民・生活の「(エセ)護憲4党」は惨敗という「当然の結果」となった。

とはいえ、全国32の一人区で擁立した「野党統一候補」は11勝21敗と善戦(?)したようだが、政策のすり合わせもせず、「打倒安倍」「改憲阻止」「安保廃止」というワンパターンな3点セットで共闘すること自体、野合そのものだった。

特に「暴力革命」を党是としながら「平和を守れ」と叫ぶ共産党の欺瞞体質にアレルギー反応を示す民進党議員も少なからずおり、この結果が限界だったのだろう。

メディアも野党も「改憲すれば戦争できる国になる。戦前回帰だ」との印象操作に躍起だったが、戦後70年も日本が平和だったのは決して9条のおかげではない。戦後の日本には他国に戦争を仕掛ける大義も理由もなく、また、世界広しといえど、米国の「核の傘」(日米安保)に守られている日本に喧嘩を売る国があるとすれば、隣国(特亜3国)ぐらいなものだろう。

それを、あたかも「9条があるから、どこも日本に手を出せない」と本気で考えている阿呆(某学生団体など)が多いから、左翼は国民に支持されないのだ。

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■道選挙区

北海道選挙区に関しては、改選議席が2から3に変わり、当選確実の長谷川岳(自民)と徳永エリ(民進)に続き、3つ目をどちらが取るのかと関心を集めたが、急遽擁立された民進の鉢呂吉雄が、自民の柿木克弘を僅差でかわした。

柿木は知名度において、かつて「選挙の達人」と言われた鉢呂には及ばず、自民の道議を総動員されても札幌圏での鉢呂の知名度には勝てなかった。

私が政治評論家をしていた頃には道議会もよく取材したが、柿木の政策通ぶりは群を抜いており、国会議員として長谷川よりも適任者だと思うのだが、やはり選挙というものは政策や人格ではなく「知名度」が全てなのだろう。

■北海道新聞

公示前から、道新は「二大キャンペーン」を張り、一日も欠かすことなく紙面を埋めていた。

一つ目は「反安倍・反安保法制・改憲阻止」という、左翼野党と全く同じ主張。ありもしない可能性を現実味たっぷりに書き立て、読者の不安を煽る常套手段が一層パワーアップされていた。

二つ目は、選挙年齢が18歳に引き下げられたことに伴う「18・19歳は投票に行こう!」キャンペーン。関心を持たせるのは結構なことだが、先述の反戦記事との抱き合わせで自社のイデオロギーを刷り込み、野党に投票させようという意図が見え見えの記事構成。

まだ社会を知らない未成年に対する「洗脳」そのものだが、彼らの投票率はともかく、道選挙区で民進に2議席を取らせたのだから、全道の有権者に一定の効果はあったのだろう。

■選挙特番(テレビ)

国政選挙の投開票日だけはテレビが6台ほしいものだが、あいにく1台しかないもので恒例のザッピング。指が忙しいったらありゃしないわ…。

当選者や党首へのインタビューはどの局も積極的にしているが、印象に残ったのはTBSの竹内明アナとテレビ朝日の富川悠太アナ。いずれも安倍首相へのインタビューで
「なぜ選挙戦で憲法改正を争点にしなかったのか」
「民意を無視しているのではないか」

というトンチンカンな質問をしたが、
「改憲は国民投票で民意を問うのだから今選挙では争点になり得ない」
「まだ条文もできていない段階でどうやって議論するのか」

と簡単に論破されていた。

特に竹内アナに関しては、与党圧勝でよほど機嫌が悪かったのか最初からケンカ腰だったうえ、「憲法改正の手続きをよく理解されていない」と断じられ、みるみるうちに表情が鬼のようになっていった。富川の方も然りで、「法律と憲法をごっちゃにしている」と指摘されるとムッとした表情に…。

両者ともに「法改正」と「憲法改正」の違いが分からず、やり込められると感情をコントロールできないあたり、キャスターの資質としていかがなものか。

そして、池上彰。自身の冠番組で創価学会と公明党との関係を取り上げ、党首に対し「(憲法の)政教分離に反してないか」という素人のような質問をぶつけるのが恒例なのだが、今回も「お約束」だったようだ。

池上のインタビューは「歯に衣着せぬ」姿勢が評判で、鋭い質問をして相手をたじろがせたり怒らせたりするのが特徴のようだ。しかし今回、新党大地の鈴木宗男に対しては「今は公民権停止中だが、自民候補の応援は選挙運動になっていないのか」という非常にお粗末な質問だった。

前回の衆院総選挙で、鈴木率いる大地は党を挙げて民主を応援し、娘の貴子も民主党公認しかも比例単独1位という厚遇で復活当選できたにも関わらず、この参院選では手のひら返しで自民側に回るという、政治家としての理念や整合性について問い糾すべきだったのでは?

まぁ、こういう質問は池上本人ではなくスタッフがリサーチ&レクチャーしているので、池上本人に期待しても仕方がないのだが…。

最後に、道選挙区コーナーについて。

各局の特番中で随時、道内局に切り替わり道選挙区の開票状況を伝えていたが、2議席は予定通りに自民・民進で分け合い、残る3議席目がどちらになるのかがなかなか決まらなかった。

そして、HTB(テレ朝系)がいち早く「鉢呂当確」を報じたのだが、鉢呂陣営は半信半疑で素直に喜べず。小1時間経った頃にNHKも鉢呂当確を打つと、やっと大歓声が上がった。確かに「一進一退の攻防」というつばぜり合いだったにせよ、HTBの分析力は信用されなかったということか…(笑)

      ◇

民主党(当時)に政権交代した時は本気で国外移住を考えたものだが、国民は3年ほどで目を覚まし、12年の総選挙で国家を取り戻した。以降、今回を含めた3回の国政選挙(補選を除く)でも自民政権は勝ち続け、日本国民の良識はまだ続いていると安堵している。

もちろん、自民党もロクな政党ではないが、消去法でかろうじて残る唯一の大政党であり、自民を敵視する野党は例外なく、日本国民にとって良くない思想を持っているので、これからも国民の良識は保ち続けてほしいものだ。

さて、次の関心は都知事選だ。もちろん私は都民ではないが、候補者の顔ぶれを見ると国政選挙以上のシュールさとレベルの低さを存分に堪能できる唯一の首長選挙だ。

世界第三位の経済大国である日本の首都のリーダーを決めるとは思えないほど対外的に恥ずかしい要素が盛りだくさんの一大お祭り騒ぎだが、遠い北海道の地で存分に堪能させて頂きます(笑)

カテゴリ : 政治選挙
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 山下 浩

Author: 山下 浩
 
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